サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

Chapter8: - サン・マクシマンへ - からの続き




【旅程】 2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登山のあと、St-Maximin サン・マクシマンへ移動


サント・ボーム山の麓から北へ車で約1時間、サン・マクシマンの町に到着しました。
時計を見ると14:30でした。
この日は朝食も採らずに山に登り、昼食も食べ損ねてしまったのですが、
不思議と空腹感はなく、むしろ満ち足りた気分でした。

”霊性が満たされると空腹を感じない” と聞いたことがあります。
この日は、サントボーム山での至福が、”聖なる食物” になっていたのでしょう。

先にお目当てのバジリカ聖堂を訪ね、その後、聖堂と隣接している町一番のホテル、
ル・クーヴァン・ロイヤルの中庭で優雅なランチをしよう、という目論見です。



マドレーヌ教会
Le 10 Juillet 2010 Saint-Maximin-la Sainte-Baume * Photos by RESONANCE



写真は、La Basilique Sainte-Marie-Madeleine マグダラのマリア バジリカ聖堂。
13世紀末から16世紀にかけて築かれましたが、正面壁面の石がむき出しのまま
未完成なので優美さは感じられません。


ですが、”Basilique ”バジリカとついている教会は、初期キリスト教のもの、
そして、特に重要な教会であるという敬称です。
マグダラのマリアが埋葬されたという伝説が残る教会で、
現在もマリアの遺骨が安置されているので、本当に特別な教会です。


伝説では、サント・ボームの洞窟に隠遁していたマグダラのマリアが、
自分が天に昇る日が近くなったことを、キリストの弟子のひとりだった
Saint-Maximin サン・マクシマンに知らせるためにサント・ボーム山の中腹まで降り、
そして地下礼拝堂に埋葬されたとのことです。

この町の名前となっているサン・マクシマンは聖地イスラエルから船で南仏に渡り
プロヴァンスでのマグダラのマリアの同伴者であり、マリアを葬った聖人です。
サン・マクシマン自身の墓もこの聖堂に安置されています。

バジリカ聖堂の建造までの歴史は、こうです。



* * *

716年、当時この地方を荒らしていたサラセン人による盗掘を恐れ、
マグダラのマリアの石棺は隠された。

1279年、プロヴァンスの領主でナポリ・シチリア王国の国王だったアンジュー伯
シャルルが、マグダラのマリアの墓を発見する。

マグダラのマリアの石棺が隠された場所は、マリアがシャルル伯爵の夢枕に立って教え、
「青々とした1本のういきょうの木が茂るところ」が、その場所であった。

掘り起こすと芳香が立ち上ったことからマグダラのマリアの墓であるとなる。

1295年、教皇ボニファティウス8世により、マグダラのマリアの聖遺物であると認定され、
もともとメロヴィング朝時代(418-751)の教会があった地下礼拝堂の上に
バジリカ聖堂と広大な修道院を建造。
マグダラのマリアの遺骸はこの地下聖堂に安置された。


参考文献:フランスにやってきたキリストの弟子たち(田辺 保著/ 教文館)、他


* * *


ということのようです。
隠された墓を発見し、町はマグダラのマリアの聖地となったというストーリーです。

でも、紀元前1世紀頃は、マグダラのマリアの聖遺物はブルゴーニュ地方の
ヴェズレーという村のマグダラのマリア聖堂にあるといわれていました。

それはなんと、紀元1世紀頃に起こった修道士の窃盗によるもの!?
ヴェズレー修道院創設の功労者、ジェラール・ド・ルシヨンと院長が計画し、
マリアの墓を探すために修道士たちをプロヴァンス地方に派遣したといわれます。

墓を探し当てた修道士たちは、マグダラのマリアの遺骸をヴェズレーに持ち帰り、
以降、ヴェズレーは聖地として巡礼者を呼び込み、目覚ましく発展していきました。


しかし、夢枕に立ったマグダラのマリアから、本当の墓がある場所を教えられた
プロヴァンスのシャルルは、ウチこそが本家本元だー!とばかり、
狂信的に、熱狂的に墓のある場所を掘ったのでしょう!
シャルル自身が、マントーの羽織をはねのけ、汗みずくになって掘り当てたといいます。


何世紀も経ったのちの、この情熱。
マグダラのマリアの本来の埋葬地であるはずのサン・マクシマンなのに、
ヴェズレーなんぞにに人気を取られてなるものかーっ、と。

その執念の賜物か、4つの大きな大理石の石棺が見つかったといいます。
マグダラのマリア本物の遺体と、シドワーヌという聖女のものがすり替えれられており、
何百年も前にヴェズレーの修道士が持ち去ったものはシドワーヌの遺体だった。

ということで、一件落着。


晴れてサン・マキシマン聖堂が建設され、マグダラのマリアに遺体は
もともとの埋葬地から盗掘されることも移送されることもなく、
今も昔も変わらずに聖堂地下に眠る、ということのようです。


サン・マクシマン聖堂と同時期に建設された修道院によってマリアの墓は守られ、
大きな巡礼を組織し、サン・マクシマンは盛隆していきました。
そして、ヴェズレーの威光は徐々に衰退していったのでした。


なんだか、ややこしい話です。
今回の旅よりずっと前に、ヴェズレーのマドレーヌ聖堂に行ったことがあります。
どちらの教会に本物のマリアの聖遺物があるかなんて、わたしにはわかりません。
本当はどちらの教会にもなくて、まだ知らない土地に隠されているかも?
と思ったりします。(かなり自由な個人的妄想です)


聖遺物を巡る勢力争い?とも思える中世キリスト教社会の一面ですが、
マグダラのマリアという人物がフランスにとって、
いかに特別な存在であるかを物語っているようです。




教会内


木の扉を開けると、すぐに聖堂になっています。
ロマネスク様式が長く続いたプロヴァンス地方には珍しいゴシック様式です。
内部には身廊、大きな内陣、側廊の天井はとても高く18mもあり、
窓から差し込む光は一直線に伸びて床を照らし、美しく荘厳です。

光に照らされた側廊を左に進むと、
マグラダのマリアが眠るCrypteクリプト(地下礼拝堂)があります。


地下クリプト


クリプトの石段を数段降りたところにマグダラのマリアの彫刻があり、



クリプト1


暗い地下へ降りたところにマリアの頭蓋骨が収められ、崇敬されています。

やはりメロヴィング朝時代の建築様式は古く、さすがに石造りのアーチも
歴史の重みを感じる迫力がありました。



クリプト2


ここです。↑
しかし何も見えません・・。
(見えても・・・どうかと思いますが・・。)



教会内2


聖堂内にはマグラダラのマリアの図像や彫像がたくさん見られます。

マグダラのマリアの生涯を描いたロザリオの祭壇や
側郎脇の小聖堂の祭壇の扉。



絵画1


説教壇の木彫りの彫刻たち。


レリーフ1


いずれも16世紀以降に作成されたものだそうですが、
マグダラのマリアの重要なエピソードがいたるところに溢れていました。



レリーフ


聖堂を出てお昼ごはんです。
サンマキシマン大聖堂に隣接しているホテル&レストラン(元は修道院)、
ル・クーヴァン・ロイヤルに向かいました。
今日初めての食事にようやくありつけます!

しかし、ふと嫌な予感がよぎったわたしたち・・・。
「帰りのバスの時間を確認しておこうか?」

レストランに入る前に観光案内所に行きました。



修道院


予感は的中したのでした。

「あなたたちが乗りたいバスは、今日は運休よ」
「えーーーっ!?」
「でも、今日の最終バスが20分後にあのバス停から出るわ」
「20分後ですかっーーー!?」
「どこですかーっ、バス停はーっ!」

地図に〇をしてもらった場所へ、一目散に走りました!
真夏のプロヴァンスで、勢いよく走っているのは闘牛とわたしたちくらいです。

がらーんとした広場にバスターミナルを見つけました。
せめて水を買ってバスに乗ろうと店を探したが、一軒も見当たらず。
夕方の開店準備をしていたバーのような店を発見。
仕方あるまい、ここでいいか。
「ごめんくださーい、お水くださーい」と言うも、ペットボトル入りの水は無し。
コカコーラならあるよ、とコーラを買ってバスに飛び乗りました。

15時38分発のバスでしたから、
サン・マクシマンには1時間しかいなかったことになります。

またご飯を食べ損ねました・・・。
ル・クーヴァン・ロイヤルで優雅なランチするはずが、なんということでしょう?
フランスの交通事情のあいまいさに対する憤りと
無念さをこらえるのに必死、コーラをがぶ飲みするわたしでした。

だいたい観光客は地元バスになんか乗らない。
車がないと不便な土地に行くのは覚悟の上だったのだ。
最終バスに乗れただけでもラッキーと思おう。

わたしたちの目的地はAubagneオバーニュ近郊、
Gemenosジェムノという町の宿。

スリルのある旅をしていると、妙にカンが冴えてくるものです。
オバーニュへ行くには、途中の町で乗り換えるらしい。
何のアナウンスもなかったけれど、乗客の気配でそれがわかりました。

無事に乗り継いで、ほっとひと息。
終点のオバーニュまで、あと40分くらいです。

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂は、
わたしにはしっくりこない何かがありました。
そこにマリア自身のスピリットは感じられないという印象・・・。

聖堂は素晴らしく、マグダラのマリアの聖遺物も安置されているほどですから、
由緒も歴史もある大聖堂ですが、マリアのスピリットは聖堂という箱の中には
居ないような気がするのです。
サント・ボーム山の、あの風、あの光、空の青の中に
捉えることのできな自然の気の中に、彼女は確かに居るように感じました。

そういえば、サン・マクシマンでは声は聞こえなかった。
今回の旅で、どこの教会に行っても聞こえた不思議な声。

ロカマドールの黒い聖母の奇跡の礼拝堂、
モワサックのサン・ピエール教会付属の修道院の中庭、
マルセイユのサン・ヴィクトール修道院、
同じくマルセイユのノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂、
そして、サント・ボーム山の頂で。

それぞれに必ず聞えてきた不思議な空耳の声。
サン・マクシマン聖堂では何も感じられなかった。

聞こえたのはすべて偶然で予期しないことだったので、
一度くらいは聞こえないこともあるでしょう。
むしろ聞こえないほうが普通でしょうし、期待なんてさらさらありません。
きっと空腹すぎたのかもしれません(笑)

長い一日が終わろうとしていました。

早朝に修道院の宿坊を出てサント・ボーム山に登り、
午後はサンマクシマンの聖堂へ行き、
夕食時にはジェムノの宿に到着する予定です。

ジェムノの宿の名はBastide Relais Magdeleine バスティード・ルレ・マドレーヌ。
マグダラのマリアの宿。
かつて、マリア巡礼者を泊めた宿なのでしょうか?

16時58分に終点オバーニュに到着。
そこからタクシーでジェムノに向かい、18時前に宿に着きました。

どんな宿なのでしょう?
期待に胸を膨らませ、バスティード・ルレ・マドレーヌの門をくぐりました。





* ~ * Chaptre 8 Continuer 続く * ~*

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

2016.06.21 | マリア巡礼

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Author:mariaikuko
青山マリアいく子の
「祈りとアートの巡礼記」にご訪問下さりありがとうございます。
導かれるような旅の不思議について書きたいと思いました。
旅で出会った出来事、美しいもの、心の目が見たものを綴っています。
皆さまの旅も、実り豊かなもので
ありますように。

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