プロヴァンスの夏(2) - 旅の終わり -

プロヴァンスの夏(2) - 旅の終わり -

Chapter9 プロヴァンスの夏(1)- バスティード・ルレ・マドレーヌ - からの続き


【旅程】
2010年7月13日- 15日 ジェムノ滞在

7月15日、いよいよ南フランスの旅を終えてパリに戻る日が来ました。
ゆっくりとテラスで朝食をとり、お昼過ぎに宿を出ます。
帰り支度をしながらマリア巡礼の旅を振り返りました。

今回の旅はまるでミラクル。
移動はいつもハプニングだらけ。
ハラハラしながらも安全に目的地に運ばれました。

予定になかった場所へも次々と導かれました。
導かれた場所から、次の道が開かれてゆくような、
旅のルートは、マグダラのマリアが辿ったであろう道行になっていました。

ただ欠けているとしたら、マグダラのマリアが漂着したといわれる
サント・マリー・ド・ラ・メールには行かなかったことでした。

また南フランスに来ることがあるだろうか?



ジェムノ動画キャプ1_450px
Le15 Juillet 2010* Sejour a Gemenos * Movie creation by RESONANCE



荷造りする窓の外から蝉の声が聞こえました。
風にそよぐマロニエの葉を見るのはとても瞑想的で、
静けさをひきたたせる蝉の声は
旅の記憶を心に刻みつけているようでした。

お昼過ぎにプロヴァンスの宿バスティードの主人に見送られ、
ジェムノからオバーニュ駅へと、もと来た道順でマルセイユ駅に向かいました。

Marseille GareSt-Chrles マルセイユ ギャル サン・シャルル駅から
16時28分発のTGVに乗り、
19時31分に Paris Gare de Lyon パリ・ギャル・ド・リヨン駅に到着。

行き交う人混みをかき分け駅を出ると、人と車とネオンで
パリの町は溢れかえっていました。

もうすでにプロヴァンスが懐かしく思えて泣き出しそうでした。
パリの喧騒の中で耳を澄ますと、あの蝉の声が聞こえてくるようでした。



vimeoリンク用サムネール

プロヴァンスの蝉の声

↑お聞きになりたい方は、リンク先の動画をご覧ください



~*~Chapter9 Fin ~*~







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2016.06.30 | マリア巡礼

プロヴァンスの夏(1)- バスティード・ルレ・マドレーヌ-

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プロヴァンスの夏(1) - バスティード・ルレ・マドレーヌ -

Chapter8:- サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂 からの続き -


【旅程】 2010年7月13日-15日
Gemenos ジェムノ滞在


サン・マクシマンの町からマルセイユ方面に戻るオバーニュ行きのバスに乗り、
約2時間半くらいで終点オバーニュに着きました。
そこから案内所でタクシーを呼んでもらい、宿のあるGemenosジェムノの町へ。

ジェムノは、マルセイユの東、サント・ボーム山塊の西側の麓の町で、
登山周遊コースの出発地点となっていて、滞在に適した町のようです。
南仏の画家、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山も遠くに見え、
プロヴァンスの穏やかな保養地という感じす。



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Le 14 Juillet 2010* Sejour a Gemenos * Photos by RESONANCE



今日から2日間滞在する宿は、Bastide Relais Magdeleine バスティード・ルレ・マドレーヌ。

Bastideバスティードとは、特に南仏の城館風のカントリーハウスを指します。
もとは18世紀の侯爵の城館だったそうです。
Bastide Relais Magdeleine のマドレーヌは、フランス読みのMADELEINEではなくて、
MAGDELEINEとGが入っているので、マグダレンと読むのでしょうか。
どうしてマグダラのマリアの名を持つのか気になるところ。
Relaisルレは、昔、馬を替える宿場として巡礼者を泊めた宿だと聞いたことがあります。
なので、古くはマグダラ巡礼の前後に立ち寄った宿なのか、マリアを崇敬した騎士たちが
集まった館だったのかもしれません。

このバスティードは、旅に出る前に偶然見つけました。
まだインターネットでのホテル予約サイトにも紹介されておらず、
公式ホームページから予約していきました。
わたしたちにはちょっと贅沢な宿でしたが、旅の終わりのご褒美としました。

バスティードに到着したのは18時前。
糸杉がなんて南仏らしい!
わくわく期待一杯に、バスティードの立派な門をくぐりました。



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正面玄関は遥か遠く。
両サイドにラベンダーが咲く一本道をゆっくりとタクシーは進んでいきました。
2ヘクタールある敷地には、途中、敷地を横切る道路も通っているくらい広いです。
その道の名前もchemin de St.Jeanシュマン・ド・サン・ジャン(聖ヨハネの道)。
聖ヨハネは、道路名としても南仏でよく見かける名前です。



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正面玄関の前には南仏らしい噴水があり、そこでタクシーを降りると、
バスティードの主人が、すぐに私たちを見つけて出迎えてくれました。
ホテルという感じはなく、久しぶりに会う親族を迎えるような温かさがありました。



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エントランスの左手にテラスがあり、その階段脇に置かれた彫刻は、
これまた南仏らしくライオン像。

テラスからカチャカチャと食器の音が響いていて、ディナーの準備をしていました。
この音、わたしにはフランスっぽいのです。

糸杉、サン・ジャン、噴水、ライオン、テラス・ディナーのカチャカチャ音。
なにもかも南仏っぽくて、まさしく ”ザ・プロヴァンスの夏” そのものです!



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バスティードの主人の笑顔で迎えられ、案内されたお部屋は
クラシックなシャンデリアが愛らしいお部屋。


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そういえば、こんな素敵な宿なのに、登山着のままでやって来てしまいました。
朝食もとらずにサントボーム山に登り、着替えるどころか昼食も食べ損ねるという
怒涛のバス移動の一日でしたから!
こんな汗だくでひもじいわたしたちなのに、主人は最高の笑顔でもてなしてくれて、
カントリーハウスならではの素朴さとホスピタリティを感じずにいられないのでした。

せめてディナーにはサッパリと汗を流し、一着だけ持ってきた晴れ着を着てテラスへ。
この日初めて食事するありがたみに、美味しさもひとしおでした。

部屋に戻るとベットに倒れ込み、ぐっすり眠りにつきました。



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翌朝、すっきり爽やかに目覚め、バスティードのまわりをお散歩しました。

木々の間から聞こえる蝉の声、風にそよぐ葉裏の輝きや噴水の雫、
すべてに生命を宿すプロヴァンスの光は特別で、なにか郷愁を感じてしまいます。
遠い遠い記憶がよみがえってくるような、懐かしい光です。



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昔はチャペルがあったのか、赤茶色のレンガの建物の上に鐘がありました。
中に入ると、広い部屋に朝食が用意されていました。


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誰も中で食べる人はいなくて、皆テラスで食事をします。


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果物やナッツが盛りだくさんな朝食は、やっぱり ”ザ・プロヴァンス”。


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これで洋梨があれば、セザンヌの絵になりそうです。


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こちらはお昼ご飯のデザート。
これまでの厳しい修行と断食の反動か、食べ物ばかり撮ってます。


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午後は、ジェムノの町をぶらぶらしたり、プールサイドで過ごしたり、
庭師が水やりをするのをぼんやり木陰で眺めたり。
かなり久々にのんびり過ごし、優雅な骨休めをしました。

そうこうしてる間に、また食事。
夕涼みしながらアペリティフを楽しんだあと、おもむろにディナー席へ。

誰もレストランの中で食べる人はいません。
”ザ・プロヴァンスの夏” は、ディナーももれなくテラスです。



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至福のディナー。
南仏の空は20時過ぎてもまだ明るくて、なかなか暮れようとしません。
テラスに明かりが灯る頃、だんだん賑わってきます。
おしゃべりをしながら、暗くなるまでゆっくり食事を楽しみます。

宿泊客だけではなく、地元のファミリーも集まってきました。
シャンパンのパチパチ泡の音、カチャカチャ銀食器の渋い音、
男女のささやき、少女の笑い声、
楽しいひとときを見知らぬ人たちと過ごすのは、なかなか良いものです。

一昨日は修道院の宿坊に泊まり、清貧の僧侶のような一夜を過ごしましたが、
今夜は城主に招かれた賓客気分です。



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マルセイユが近いせいか、魚介料理がとっても美味しくて♡


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プロヴァンスの夏の夜空は藍色。
プロヴァンスの光に憧れた画家ゴッホの、あの藍色と同じです。

夜空を見上げると、パパーンと花火の音がしました。
そう、今日7月14日は、革命記念日のお祭りです!

藍色の空を割るように炸裂する花火は、
なんとも素敵な夏の夜の1シーンを演出していました。

7月9日から初めた1週間の南仏マリア巡礼。

パリ  ⇒ ロカマドール ⇒ モワサック  ⇒ マルセイユ 
マルセイユ ⇒ サント・ボーム ⇒ サン・マクシマン
サン・マクシマン ⇒ ジェムノ ⇒ パリ

旅程を決める時、14日の革命記念日をどこで過ごすかを考慮にいれながら
前後の予定を立てました。
もちろん行きたい場所、宿が予約できる日を考えてのことですが、
14日にお祭り騒ぎのパリにいるのは避けたいと。

その日程調整もあって、バスティードには2泊しました。
本当はもっと長期滞在したいところです。
1か月くらいはプロヴァンスで過ごしたいものです。
しかし日本に帰らなくてはいけません・・。

明日はバスティードを出てパリに戻ります。



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藍色の空に高らかに響く Feux d' artifice フー・ダルティフィス(花火)。

それは、旅のご褒美であり
旅の終わりを告げていました。





* ~ * Chaptre 9 Continuer 続く * ~*

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2016.06.26 | マリア巡礼

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

Chapter8: - サン・マクシマンへ - からの続き




【旅程】 2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登山のあと、St-Maximin サン・マクシマンへ移動


サント・ボーム山の麓から北へ車で約1時間、サン・マクシマンの町に到着しました。
時計を見ると14:30でした。
この日は朝食も採らずに山に登り、昼食も食べ損ねてしまったのですが、
不思議と空腹感はなく、むしろ満ち足りた気分でした。

”霊性が満たされると空腹を感じない” と聞いたことがあります。
この日は、サントボーム山での至福が、”聖なる食物” になっていたのでしょう。

先にお目当てのバジリカ聖堂を訪ね、その後、聖堂と隣接している町一番のホテル、
ル・クーヴァン・ロイヤルの中庭で優雅なランチをしよう、という目論見です。



マドレーヌ教会
Le 10 Juillet 2010 Saint-Maximin-la Sainte-Baume * Photos by RESONANCE



写真は、La Basilique Sainte-Marie-Madeleine マグダラのマリア バジリカ聖堂。
13世紀末から16世紀にかけて築かれましたが、正面壁面の石がむき出しのまま
未完成なので優美さは感じられません。


ですが、”Basilique ”バジリカとついている教会は、初期キリスト教のもの、
そして、特に重要な教会であるという敬称です。
マグダラのマリアが埋葬されたという伝説が残る教会で、
現在もマリアの遺骨が安置されているので、本当に特別な教会です。


伝説では、サント・ボームの洞窟に隠遁していたマグダラのマリアが、
自分が天に昇る日が近くなったことを、キリストの弟子のひとりだった
Saint-Maximin サン・マクシマンに知らせるためにサント・ボーム山の中腹まで降り、
そして地下礼拝堂に埋葬されたとのことです。

この町の名前となっているサン・マクシマンは聖地イスラエルから船で南仏に渡り
プロヴァンスでのマグダラのマリアの同伴者であり、マリアを葬った聖人です。
サン・マクシマン自身の墓もこの聖堂に安置されています。

バジリカ聖堂の建造までの歴史は、こうです。



* * *

716年、当時この地方を荒らしていたサラセン人による盗掘を恐れ、
マグダラのマリアの石棺は隠された。

1279年、プロヴァンスの領主でナポリ・シチリア王国の国王だったアンジュー伯
シャルルが、マグダラのマリアの墓を発見する。

マグダラのマリアの石棺が隠された場所は、マリアがシャルル伯爵の夢枕に立って教え、
「青々とした1本のういきょうの木が茂るところ」が、その場所であった。

掘り起こすと芳香が立ち上ったことからマグダラのマリアの墓であるとなる。

1295年、教皇ボニファティウス8世により、マグダラのマリアの聖遺物であると認定され、
もともとメロヴィング朝時代(418-751)の教会があった地下礼拝堂の上に
バジリカ聖堂と広大な修道院を建造。
マグダラのマリアの遺骸はこの地下聖堂に安置された。


参考文献:フランスにやってきたキリストの弟子たち(田辺 保著/ 教文館)、他


* * *


ということのようです。
隠された墓を発見し、町はマグダラのマリアの聖地となったというストーリーです。

でも、紀元前1世紀頃は、マグダラのマリアの聖遺物はブルゴーニュ地方の
ヴェズレーという村のマグダラのマリア聖堂にあるといわれていました。

それはなんと、紀元1世紀頃に起こった修道士の窃盗によるもの!?
ヴェズレー修道院創設の功労者、ジェラール・ド・ルシヨンと院長が計画し、
マリアの墓を探すために修道士たちをプロヴァンス地方に派遣したといわれます。

墓を探し当てた修道士たちは、マグダラのマリアの遺骸をヴェズレーに持ち帰り、
以降、ヴェズレーは聖地として巡礼者を呼び込み、目覚ましく発展していきました。


しかし、夢枕に立ったマグダラのマリアから、本当の墓がある場所を教えられた
プロヴァンスのシャルルは、ウチこそが本家本元だー!とばかり、
狂信的に、熱狂的に墓のある場所を掘ったのでしょう!
シャルル自身が、マントーの羽織をはねのけ、汗みずくになって掘り当てたといいます。


何世紀も経ったのちの、この情熱。
マグダラのマリアの本来の埋葬地であるはずのサン・マクシマンなのに、
ヴェズレーなんぞにに人気を取られてなるものかーっ、と。

その執念の賜物か、4つの大きな大理石の石棺が見つかったといいます。
マグダラのマリア本物の遺体と、シドワーヌという聖女のものがすり替えれられており、
何百年も前にヴェズレーの修道士が持ち去ったものはシドワーヌの遺体だった。

ということで、一件落着。


晴れてサン・マキシマン聖堂が建設され、マグダラのマリアに遺体は
もともとの埋葬地から盗掘されることも移送されることもなく、
今も昔も変わらずに聖堂地下に眠る、ということのようです。


サン・マクシマン聖堂と同時期に建設された修道院によってマリアの墓は守られ、
大きな巡礼を組織し、サン・マクシマンは盛隆していきました。
そして、ヴェズレーの威光は徐々に衰退していったのでした。


なんだか、ややこしい話です。
今回の旅よりずっと前に、ヴェズレーのマドレーヌ聖堂に行ったことがあります。
どちらの教会に本物のマリアの聖遺物があるかなんて、わたしにはわかりません。
本当はどちらの教会にもなくて、まだ知らない土地に隠されているかも?
と思ったりします。(かなり自由な個人的妄想です)


聖遺物を巡る勢力争い?とも思える中世キリスト教社会の一面ですが、
マグダラのマリアという人物がフランスにとって、
いかに特別な存在であるかを物語っているようです。




教会内


木の扉を開けると、すぐに聖堂になっています。
ロマネスク様式が長く続いたプロヴァンス地方には珍しいゴシック様式です。
内部には身廊、大きな内陣、側廊の天井はとても高く18mもあり、
窓から差し込む光は一直線に伸びて床を照らし、美しく荘厳です。

光に照らされた側廊を左に進むと、
マグラダのマリアが眠るCrypteクリプト(地下礼拝堂)があります。


地下クリプト


クリプトの石段を数段降りたところにマグダラのマリアの彫刻があり、



クリプト1


暗い地下へ降りたところにマリアの頭蓋骨が収められ、崇敬されています。

やはりメロヴィング朝時代の建築様式は古く、さすがに石造りのアーチも
歴史の重みを感じる迫力がありました。



クリプト2


ここです。↑
しかし何も見えません・・。
(見えても・・・どうかと思いますが・・。)



教会内2


聖堂内にはマグラダラのマリアの図像や彫像がたくさん見られます。

マグダラのマリアの生涯を描いたロザリオの祭壇や
側郎脇の小聖堂の祭壇の扉。



絵画1


説教壇の木彫りの彫刻たち。


レリーフ1


いずれも16世紀以降に作成されたものだそうですが、
マグダラのマリアの重要なエピソードがいたるところに溢れていました。



レリーフ


聖堂を出てお昼ごはんです。
サンマキシマン大聖堂に隣接しているホテル&レストラン(元は修道院)、
ル・クーヴァン・ロイヤルに向かいました。
今日初めての食事にようやくありつけます!

しかし、ふと嫌な予感がよぎったわたしたち・・・。
「帰りのバスの時間を確認しておこうか?」

レストランに入る前に観光案内所に行きました。



修道院


予感は的中したのでした。

「あなたたちが乗りたいバスは、今日は運休よ」
「えーーーっ!?」
「でも、今日の最終バスが20分後にあのバス停から出るわ」
「20分後ですかっーーー!?」
「どこですかーっ、バス停はーっ!」

地図に〇をしてもらった場所へ、一目散に走りました!
真夏のプロヴァンスで、勢いよく走っているのは闘牛とわたしたちくらいです。

がらーんとした広場にバスターミナルを見つけました。
せめて水を買ってバスに乗ろうと店を探したが、一軒も見当たらず。
夕方の開店準備をしていたバーのような店を発見。
仕方あるまい、ここでいいか。
「ごめんくださーい、お水くださーい」と言うも、ペットボトル入りの水は無し。
コカコーラならあるよ、とコーラを買ってバスに飛び乗りました。

15時38分発のバスでしたから、
サン・マクシマンには1時間しかいなかったことになります。

またご飯を食べ損ねました・・・。
ル・クーヴァン・ロイヤルで優雅なランチするはずが、なんということでしょう?
フランスの交通事情のあいまいさに対する憤りと
無念さをこらえるのに必死、コーラをがぶ飲みするわたしでした。

だいたい観光客は地元バスになんか乗らない。
車がないと不便な土地に行くのは覚悟の上だったのだ。
最終バスに乗れただけでもラッキーと思おう。

わたしたちの目的地はAubagneオバーニュ近郊、
Gemenosジェムノという町の宿。

スリルのある旅をしていると、妙にカンが冴えてくるものです。
オバーニュへ行くには、途中の町で乗り換えるらしい。
何のアナウンスもなかったけれど、乗客の気配でそれがわかりました。

無事に乗り継いで、ほっとひと息。
終点のオバーニュまで、あと40分くらいです。

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂は、
わたしにはしっくりこない何かがありました。
そこにマリア自身のスピリットは感じられないという印象・・・。

聖堂は素晴らしく、マグダラのマリアの聖遺物も安置されているほどですから、
由緒も歴史もある大聖堂ですが、マリアのスピリットは聖堂という箱の中には
居ないような気がするのです。
サント・ボーム山の、あの風、あの光、空の青の中に
捉えることのできな自然の気の中に、彼女は確かに居るように感じました。

そういえば、サン・マクシマンでは声は聞こえなかった。
今回の旅で、どこの教会に行っても聞こえた不思議な声。

ロカマドールの黒い聖母の奇跡の礼拝堂、
モワサックのサン・ピエール教会付属の修道院の中庭、
マルセイユのサン・ヴィクトール修道院、
同じくマルセイユのノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂、
そして、サント・ボーム山の頂で。

それぞれに必ず聞えてきた不思議な空耳の声。
サン・マクシマン聖堂では何も感じられなかった。

聞こえたのはすべて偶然で予期しないことだったので、
一度くらいは聞こえないこともあるでしょう。
むしろ聞こえないほうが普通でしょうし、期待なんてさらさらありません。
きっと空腹すぎたのかもしれません(笑)

長い一日が終わろうとしていました。

早朝に修道院の宿坊を出てサント・ボーム山に登り、
午後はサンマクシマンの聖堂へ行き、
夕食時にはジェムノの宿に到着する予定です。

ジェムノの宿の名はBastide Relais Magdeleine バスティード・ルレ・マドレーヌ。
マグダラのマリアの宿。
かつて、マリア巡礼者を泊めた宿なのでしょうか?

16時58分に終点オバーニュに到着。
そこからタクシーでジェムノに向かい、18時前に宿に着きました。

どんな宿なのでしょう?
期待に胸を膨らませ、バスティード・ルレ・マドレーヌの門をくぐりました。





* ~ * Chaptre 8 Continuer 続く * ~*

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2016.06.21 | マリア巡礼

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mariaikuko

Author:mariaikuko
青山マリアいく子の
「祈りとアートの巡礼記」にご訪問下さりありがとうございます。
導かれるような旅の不思議について書きたいと思いました。
旅で出会った出来事、美しいもの、心の目が見たものを綴っています。
皆さまの旅も、実り豊かなもので
ありますように。

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