【10-3】シャルトル大聖堂 (2) - 美しき絵ガラスの聖母 -

シャルトル大聖堂 (2) - 美しき絵ガラスの聖母 -
Chapter9 - シャルトル大聖堂(1) - ラビリンス - からの続き


シャルトル大聖堂を訪れて感動しない人はいない。
壮麗なゴシック建築や宗教美術に興味のある人は、皆シャルトルの虜になります。
人々は、壮麗な建造物そのものと、それを創り出し、維持し続ける人間たちの情熱、
その双方に感動するのかもしれません。

人は何に情熱をかけるのか?
何に命を燃やして生きるのか?

何百年という時が経とうとも、シャルトル大聖堂の姿からは
そういう問いかけが聞こえてきそうです。


ステンド5
Le18 Juillet 2010*La cathédrale de Chartres*Photos by RESONANCE


シャルトル大聖堂を有名にしているものの一つにステンドグラスがあります。

聖堂の身廊の高さは37mととてつもなく高く、
身廊の幅16m、南北の幅32m 、東西の幅46m、
身廊の全長は130mもあります。
(*参考:wikipedia )

中央の大身廊の両脇に北側廊と南側廊があり、側廊は176枚もの
ステンドグラスでびっしり埋め尽くされています。
薔薇窓(La Rose)や先端が尖った縦長のランセット窓(Lancettes)など
光輝く華麗な窓はまるで宝石のよう。

わたしたちが聖堂に入ると、タイミングよくパイプオルガンが演奏され、
うっとり宝石箱の中に居るような夢心地でした。

「さまざまな宝石で飾られた聖都エルサレムの城壁」
ヨハネの黙示録に書かれた一節を思い起こさせるような荘厳な佇まいです。

とりわけ”シャルトル・ブルー”と呼ばれるステンドグラスの青は見事です。
深く鮮やかな色は、本物のサファイヤが使われているのではと思うほど!


ステンド2


ステンドグラスに描かれた登場人物の数は5000を超えるそうです。
キリストと聖母マリアの生涯、旧約・新約聖書の聖人や王家の人々、
ステンドグラス1枚ごとに、聖書の1ページをめくるようです。


ステンド1
LA ROSE NORD*Photo by RESONANCE


上の写真は、北側にある薔薇窓とランセット窓。望遠で撮りました。
ルイ9世の王母ブランシュ・ド・カスティーリャが1230年頃に
奉献した13世紀のステンドグラスです。

薔薇窓の中心にはキリストを抱いた聖母マリア、
その周りの放射状の12の円には4羽の鳩と8人の天使、
12の四角の中にはユダ国の12人の王、
一番外側の半円には12人の小預言者たちが描かれています。

その下の5枚のランセット窓が気になりました。
窓の中央にいるのは、幼子キリストと聖母マリア...と思ったら、
肌の色が黒い!
薔薇窓の中央のマリアは白い肌なのに、ランセットのマリアは黒いのでした。
こちらはマリアの母、聖アンナなのだそうです。
よく見ると女の子を抱いているので、マリアを抱く聖アンナでした。
でもね、どうして娘の肌は白く、母の肌は黒いのか?
いつから聖母マリアは色白に?
小さな違い、でも大きな意味を発見する時、思わずニヤリとなります(笑)

左から、聖杯を持つ司祭王メルキゼデク、10弦のハープを持つダビデ王、
聖アンナ、ダビデの息子ソロモン王、右端はユダヤの法衣を着た司祭長アロンと、
この窓はキリストはユダ国の王家の継承者であることを顕示する窓のようです。

ガラスの色使いにも意味があります。
青は王権を、赤は美徳と慈愛を、
赤い背景に黄色いお城は王国を指し示したそうです。


ガラス絵の聖母2
N.D. DE LA BELLE VERRIERE*Photo by RESONANCE


「美しき絵ガラスの聖母」は12世紀のもの。
聖堂内陣の周歩廊南側の初めにこのステンドグラスがあります。
幼な子キリストを膝に乗せ、冠を頂き玉座に座る聖母マリア。
聖母の頭上には聖霊の鳩、香炉を持った天使が描かれています。

慈悲を示す深い赤を背景に、輝くような青い衣をまとう聖母。
これぞシャルトル・ブルー!
深く鮮やかな色合いと透明感のある階調は見事です!

わたしはこのステンドグラスの前に立った時、
その美しい色に引き込まれてしまいました。


美しきガラス絵の聖母2


キリスト教世界では、青は天国の色として捉えられていたので、
聖母の衣の青は”天の女王”を意味していました。

シャルトル大聖堂は、”天の女王の地上の宮殿”と例えられます。

聖母に捧げられた教会の中でも、シャルトルは最も重要なマリア巡礼の拠点とされ、
多くの巡礼団や単独巡礼者を受け入れてきました。
聖母が羽織っていた”サンクタ・カミシア(聖衣)が所蔵されており、
1194年の大火災にも消失を免れたことから、聖衣を一目拝みたいという
巡礼者を惹きつけてきたのです。

聖母への愛と献身の証として、シャルトル・ブルーの極上の青が生まれたのでしょう。
青色のガラスを生み出す技術には並ならぬ情熱がかけられていたと想像します。


人は何に情熱をかけるのか?
何に命を燃やして生きるのか?

問いかけは、ひとつひとつのステンドグラスからも訴えかけてくるようです。

どこを探しても見当たらなかったステンドグラスが一枚.....。
ちょうど修復中で見れませんでした。
残念ですが、また次回に。

またシャルトル・ブルーに会いに行く。
これも小さな情熱ですね。

このあと聖堂を出て、わたしたちは地下のマリアさまに会いに行きました。

本当の旅の目的はここ。





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2017.08.15 | マリア巡礼

【10-2】シャルトル大聖堂 (1) - ラビリンス -

シャルトル大聖堂 (1) - ラビリンス -
Chapter9 - シャルトルへ - からの続き
http://maria11pilgrim.blog.fc2.com/blog-entry-28.html


フランスのCartres シャルトルは、聖母マリアの巡礼の町です。
シャルトル・ブルーと呼ばれるステンドグラスがあまりに有名な
中世ゴシック様式のノートル ダム大聖堂があります。
世界遺産にも登録されています。

パリ市内からとても近いので、日帰りで気軽に足を伸ばせます。
2010年7月18日、パリ・モンパルナス駅からイル・ド・フランス地方圏外を走る
普通列車、ter(テ・ウ・エール)に乗って約1時間でシャルトル駅に到着しました。


シャルトル駅
Le 18 Juillet 2010*La Cathedrale de Chartres*Photos by RESONANC


小さなシャルトル駅を出て、シャルトル大聖堂を目指して歩きます。
緩やかな坂道を登り、大きな広場に出ると大聖堂はすぐ目の前に。

大聖堂のシンボル、2本の尖塔は、電車からも見ることができます。
シャルトルまではボーズ平野の広大な麦畑が続くのですが、
車窓の向こう、一面の麦畑の中からポツンと大聖堂が姿を現わすのです。

陽光に輝く麦の穂の波間の向こうに2本の尖塔を目にする時、
どんな人も敬虔な気持ちになるのではないかと思います。


外観1


尖塔は左側の高いほうはゴシック様式、右側の低いほうはロマネスク様式です。
シャルトルの起源は伝説と史実が不明瞭な時代に遡るため、確かなことは
わかっていません。少なくともカロリング朝(751-986)の時代から聖母マリアに
捧げられた大聖堂であることは確かだそうです。
ヴァイキングの襲撃や大規模な火災などで聖堂は焼け落ち、1260年には
ほぼ再建されるも、フランス革命期には屈辱的な破壊に遭い、数えきれない程の再建、
修復を重ねて今日の姿となっています。


外観4


聖堂の周りはぐるりと聖人の像で埋め尽くされています。
聖人の胴体はひょろ長くディフォルメされ、繊細な表情を見せています。


日時計


時計や日時計も見つけました。


日時計2


いきなり聖堂内部に入るのも良いですが、時間のある時は
ぐるりと外観を見渡すと全体像が把握しやすいですね。


外観3


Portail Royal ロワイヤル・ポルターユ(王の門)と呼ばれる12世紀の正門から
聖堂に入りました。
写真では分かりませんが、中央柱の左側に「ユダ王国の女王」と呼ばれる彫像と
旧約聖書の人物の彫像があります。誰を表しているのか不明です。
キリストのご先祖さまかもしれません。


教会内


中に入ると聖堂正面のステンドグラスが目に飛び込みます。
そして、すぐに視線を床に向けると円形のラビリンス(迷路)があります。

円の直径は12.85m、内側の曲がりくねった路は261mと長く巨大です。
この日はミサがあり、椅子が並べられて床が隠れていたのと、
大きすぎてよく分かりませんでしたが・・・。


教会内部1


床に埋め込まれたラビリンスは、かつての巡礼者たちが立つか膝をついて
迷路を辿ったと言われます。

シャルトル大聖堂のラビリンスは貴重です。
現存する中世フランスのものとしては最も良い状態で残されているからです。
その他の聖堂のラビリンスは、キリスト教的意味を持っていたにも関わらず、
17,18世紀には理解されなくなり取り壊されてしまったのです。


ラビリンス4


ラビリンス=迷路。
入口があって、一本の長い迷路を苦労しながら歩き、最後には
目的地(出口)に出るというもの。
そういえば、どんな宗教的意味があるのでしょう?

購入したカタログによるとシャルトルのラビリンスは、
「エルサレムへの旅路」とされていたそうです。
辿りついた先に聖都エルサレムの扉が開かれるといいます。
でもここで言うエルサレムは都市ではなく天上の都市、つまり天国。
キリスト教的天国とは、永遠の命。
ラビリンスは永遠の命へと到達する人間の旅路を象徴しているのだそうです。
ちょっと難しいですね〜。


ラビリンス3


エントランスに置かれていたラビリンスの模型。
これでようやく形が分かりました〜。


ラビリンス2


大聖堂の裏にある庭園にもラビリンスがありました!
刈り込み具合と左右対象系が、いかにもフランス庭園らしい。


ラビリンス庭園


この後、憧れのシャルトル・ブルー(ステンドグラス)をゆっくり見学しました。


庭園前





* ~ * Chapter 10 Continuer 続く * ~*






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2017.08.14 | マリア巡礼

【10-1】シャルトルへ

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シャルトルへ

Chapter9-プロヴァンスの夏(2)-旅の終わり - からの続き

【旅程】
2010年7月15日- 19日 パリ滞在

7月15日の夜、1週間の南仏の旅からパリに戻りました。
パリに戻ったわたしたちは、もぬけの殻のようでした。

フランスならではのおしゃれな服や靴、キッチンの小物やリネン。
バーゲンもまだやっているし、東京を出発する時は
パリで買い物しようと予定していたのに、
どうしたことか、マリア巡礼から戻ると全く物欲がなくなっていました。
こんなに物欲がなくなるのは人生初の経験です。

すれ違う人の香水の香り、どこからともなく流れる葉巻の匂い、
おしゃべり、騒音、クラクションとパトカーのサイレンの音。
プロヴァンスから戻ると、都会にうんざりな気分です。
花の都パリの町が、わたしの目にはもう色あせしまって、
南フランスの光や風や田舎町が恋しくて仕方ありませんでした。

3年間住んだ町ですから観光という気分でもなく、
友人たちと会って食事するのが一番の楽しみでした。

パリでもつい足が向くのは教会。
マドレーヌ寺院、サン・ジェルマン教会、サン・シュルピス教会に
軌跡のメダイ教会、ノートル・ダム大聖堂。



マドレーヌ2L
Le 16 Juillet 2010* Eglise de la Madeleine*Photos by RESONANCE


マドレーヌ寺院は、マグダラのマリアが聖堂の正面に祀られており、
横から拝観すると、少しだけお腹がふっくらとしているように見えました。


マドレーヌ寺院L


それぞれの教会は素晴らしく、
もう何度も訪ねているものの、それぞれに新しい発見もあって、
そんな時、心が満たれるようでした。

そうだ、シャルトルに行こう!

突然思い立って、7月18日、
10時33分発 Montparnasse モンパルナス駅から
普通列車に乗って約1時間、シャルトルに来ました。



シャルトル駅L


シャルトル大聖堂。
ステンドグラスの美しさで有名な大聖堂です。


外観1


以前友人に連れられて来ているのですが、
一度でシャルトルの全てを見るのはなかなか出来ないものです。

二度目のシャルトルは、わたしに何を見せてくれるでしょうか?





* ~ * Chaptre 9 Continuer 続く * ~*

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2016.07.01 | マリア巡礼

【09-2】プロヴァンスの夏(2) - 旅の終わり -

プロヴァンスの夏(2) - 旅の終わり -

Chapter9 プロヴァンスの夏(1)- バスティード・ルレ・マドレーヌ - からの続き


【旅程】
2010年7月13日- 15日 ジェムノ滞在

7月15日、いよいよ南フランスの旅を終えてパリに戻る日が来ました。
ゆっくりとテラスで朝食をとり、お昼過ぎに宿を出ます。
帰り支度をしながらマリア巡礼の旅を振り返りました。

今回の旅はまるでミラクル。
移動はいつもハプニングだらけ。
ハラハラしながらも安全に目的地に運ばれました。

予定になかった場所へも次々と導かれました。
導かれた場所から、次の道が開かれてゆくような、
旅のルートは、マグダラのマリアが辿ったであろう道行になっていました。

ただ欠けているとしたら、マグダラのマリアが漂着したといわれる
サント・マリー・ド・ラ・メールには行かなかったことでした。

また南フランスに来ることがあるだろうか?



ジェムノ動画キャプ1_450px
Le15 Juillet 2010* Sejour a Gemenos * Movie creation by RESONANCE



荷造りする窓の外から蝉の声が聞こえました。
風にそよぐマロニエの葉を見るのはとても瞑想的で、
静けさをひきたたせる蝉の声は
旅の記憶を心に刻みつけているようでした。

お昼過ぎにプロヴァンスの宿バスティードの主人に見送られ、
ジェムノからオバーニュ駅へと、もと来た道順でマルセイユ駅に向かいました。

Marseille GareSt-Chrles マルセイユ ギャル サン・シャルル駅から
16時28分発のTGVに乗り、
19時31分に Paris Gare de Lyon パリ・ギャル・ド・リヨン駅に到着。

行き交う人混みをかき分け駅を出ると、人と車とネオンで
パリの町は溢れかえっていました。

もうすでにプロヴァンスが懐かしく思えて泣き出しそうでした。
パリの喧騒の中で耳を澄ますと、あの蝉の声が聞こえてくるようでした。



vimeoリンク用サムネール

プロヴァンスの蝉の声

↑お聞きになりたい方は、リンク先の動画をご覧ください



~*~Chapter9 Fin ~*~







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2016.06.30 | マリア巡礼

【09-1】プロヴァンスの夏(1)- バスティード・ルレ・マドレーヌ-

記事ラベル-gemenos


プロヴァンスの夏(1) - バスティード・ルレ・マドレーヌ -

Chapter8:- サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂 からの続き -


【旅程】 2010年7月13日-15日
Gemenos ジェムノ滞在


サン・マクシマンの町からマルセイユ方面に戻るオバーニュ行きのバスに乗り、
約2時間半くらいで終点オバーニュに着きました。
そこから案内所でタクシーを呼んでもらい、宿のあるGemenosジェムノの町へ。

ジェムノは、マルセイユの東、サント・ボーム山塊の西側の麓の町で、
登山周遊コースの出発地点となっていて、滞在に適した町のようです。
南仏の画家、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山も遠くに見え、
プロヴァンスの穏やかな保養地という感じす。



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Le 14 Juillet 2010* Sejour a Gemenos * Photos by RESONANCE



今日から2日間滞在する宿は、Bastide Relais Magdeleine バスティード・ルレ・マドレーヌ。

Bastideバスティードとは、特に南仏の城館風のカントリーハウスを指します。
もとは18世紀の侯爵の城館だったそうです。
Bastide Relais Magdeleine のマドレーヌは、フランス読みのMADELEINEではなくて、
MAGDELEINEとGが入っているので、マグダレンと読むのでしょうか。
どうしてマグダラのマリアの名を持つのか気になるところ。
Relaisルレは、昔、馬を替える宿場として巡礼者を泊めた宿だと聞いたことがあります。
なので、古くはマグダラ巡礼の前後に立ち寄った宿なのか、マリアを崇敬した騎士たちが
集まった館だったのかもしれません。

このバスティードは、旅に出る前に偶然見つけました。
まだインターネットでのホテル予約サイトにも紹介されておらず、
公式ホームページから予約していきました。
わたしたちにはちょっと贅沢な宿でしたが、旅の終わりのご褒美としました。

バスティードに到着したのは18時前。
糸杉がなんて南仏らしい!
わくわく期待一杯に、バスティードの立派な門をくぐりました。



DSC00429_450.jpg



正面玄関は遥か遠く。
両サイドにラベンダーが咲く一本道をゆっくりとタクシーは進んでいきました。
2ヘクタールある敷地には、途中、敷地を横切る道路も通っているくらい広いです。
その道の名前もchemin de St.Jeanシュマン・ド・サン・ジャン(聖ヨハネの道)。
聖ヨハネは、道路名としても南仏でよく見かける名前です。



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正面玄関の前には南仏らしい噴水があり、そこでタクシーを降りると、
バスティードの主人が、すぐに私たちを見つけて出迎えてくれました。
ホテルという感じはなく、久しぶりに会う親族を迎えるような温かさがありました。



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エントランスの左手にテラスがあり、その階段脇に置かれた彫刻は、
これまた南仏らしくライオン像。

テラスからカチャカチャと食器の音が響いていて、ディナーの準備をしていました。
この音、わたしにはフランスっぽいのです。

糸杉、サン・ジャン、噴水、ライオン、テラス・ディナーのカチャカチャ音。
なにもかも南仏っぽくて、まさしく ”ザ・プロヴァンスの夏” そのものです!



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バスティードの主人の笑顔で迎えられ、案内されたお部屋は
クラシックなシャンデリアが愛らしいお部屋。


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そういえば、こんな素敵な宿なのに、登山着のままでやって来てしまいました。
朝食もとらずにサントボーム山に登り、着替えるどころか昼食も食べ損ねるという
怒涛のバス移動の一日でしたから!
こんな汗だくでひもじいわたしたちなのに、主人は最高の笑顔でもてなしてくれて、
カントリーハウスならではの素朴さとホスピタリティを感じずにいられないのでした。

せめてディナーにはサッパリと汗を流し、一着だけ持ってきた晴れ着を着てテラスへ。
この日初めて食事するありがたみに、美味しさもひとしおでした。

部屋に戻るとベットに倒れ込み、ぐっすり眠りにつきました。



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翌朝、すっきり爽やかに目覚め、バスティードのまわりをお散歩しました。

木々の間から聞こえる蝉の声、風にそよぐ葉裏の輝きや噴水の雫、
すべてに生命を宿すプロヴァンスの光は特別で、なにか郷愁を感じてしまいます。
遠い遠い記憶がよみがえってくるような、懐かしい光です。



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昔はチャペルがあったのか、赤茶色のレンガの建物の上に鐘がありました。
中に入ると、広い部屋に朝食が用意されていました。


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誰も中で食べる人はいなくて、皆テラスで食事をします。


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果物やナッツが盛りだくさんな朝食は、やっぱり ”ザ・プロヴァンス”。


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これで洋梨があれば、セザンヌの絵になりそうです。


DSC00424_450.jpg


こちらはお昼ご飯のデザート。
これまでの厳しい修行と断食の反動か、食べ物ばかり撮ってます。


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午後は、ジェムノの町をぶらぶらしたり、プールサイドで過ごしたり、
庭師が水やりをするのをぼんやり木陰で眺めたり。
かなり久々にのんびり過ごし、優雅な骨休めをしました。

そうこうしてる間に、また食事。
夕涼みしながらアペリティフを楽しんだあと、おもむろにディナー席へ。

誰もレストランの中で食べる人はいません。
”ザ・プロヴァンスの夏” は、ディナーももれなくテラスです。



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至福のディナー。
南仏の空は20時過ぎてもまだ明るくて、なかなか暮れようとしません。
テラスに明かりが灯る頃、だんだん賑わってきます。
おしゃべりをしながら、暗くなるまでゆっくり食事を楽しみます。

宿泊客だけではなく、地元のファミリーも集まってきました。
シャンパンのパチパチ泡の音、カチャカチャ銀食器の渋い音、
男女のささやき、少女の笑い声、
楽しいひとときを見知らぬ人たちと過ごすのは、なかなか良いものです。

一昨日は修道院の宿坊に泊まり、清貧の僧侶のような一夜を過ごしましたが、
今夜は城主に招かれた賓客気分です。



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マルセイユが近いせいか、魚介料理がとっても美味しくて♡


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プロヴァンスの夏の夜空は藍色。
プロヴァンスの光に憧れた画家ゴッホの、あの藍色と同じです。

夜空を見上げると、パパーンと花火の音がしました。
そう、今日7月14日は、革命記念日のお祭りです!

藍色の空を割るように炸裂する花火は、
なんとも素敵な夏の夜の1シーンを演出していました。

7月9日から初めた1週間の南仏マリア巡礼。

パリ  ⇒ ロカマドール ⇒ モワサック  ⇒ マルセイユ 
マルセイユ ⇒ サント・ボーム ⇒ サン・マクシマン
サン・マクシマン ⇒ ジェムノ ⇒ パリ

旅程を決める時、14日の革命記念日をどこで過ごすかを考慮にいれながら
前後の予定を立てました。
もちろん行きたい場所、宿が予約できる日を考えてのことですが、
14日にお祭り騒ぎのパリにいるのは避けたいと。

その日程調整もあって、バスティードには2泊しました。
本当はもっと長期滞在したいところです。
1か月くらいはプロヴァンスで過ごしたいものです。
しかし日本に帰らなくてはいけません・・。

明日はバスティードを出てパリに戻ります。



DSC00467_450.jpg



藍色の空に高らかに響く Feux d' artifice フー・ダルティフィス(花火)。

それは、旅のご褒美であり
旅の終わりを告げていました。





* ~ * Chaptre 9 Continuer 続く * ~*

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2016.06.26 | マリア巡礼

【08-2】サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂

Chapter8: - サン・マクシマンへ - からの続き




【旅程】 2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登山のあと、St-Maximin サン・マクシマンへ移動


サント・ボーム山の麓から北へ車で約1時間、サン・マクシマンの町に到着しました。
時計を見ると14:30でした。
この日は朝食も採らずに山に登り、昼食も食べ損ねてしまったのですが、
不思議と空腹感はなく、むしろ満ち足りた気分でした。

”霊性が満たされると空腹を感じない” と聞いたことがあります。
この日は、サントボーム山での至福が、”聖なる食物” になっていたのでしょう。

先にお目当てのバジリカ聖堂を訪ね、その後、聖堂と隣接している町一番のホテル、
ル・クーヴァン・ロイヤルの中庭で優雅なランチをしよう、という目論見です。



マドレーヌ教会
Le 10 Juillet 2010 Saint-Maximin-la Sainte-Baume * Photos by RESONANCE



写真は、La Basilique Sainte-Marie-Madeleine マグダラのマリア バジリカ聖堂。
13世紀末から16世紀にかけて築かれましたが、正面壁面の石がむき出しのまま
未完成なので優美さは感じられません。


ですが、”Basilique ”バジリカとついている教会は、初期キリスト教のもの、
そして、特に重要な教会であるという敬称です。
マグダラのマリアが埋葬されたという伝説が残る教会で、
現在もマリアの遺骨が安置されているので、本当に特別な教会です。


伝説では、サント・ボームの洞窟に隠遁していたマグダラのマリアが、
自分が天に昇る日が近くなったことを、キリストの弟子のひとりだった
Saint-Maximin サン・マクシマンに知らせるためにサント・ボーム山の中腹まで降り、
そして地下礼拝堂に埋葬されたとのことです。

この町の名前となっているサン・マクシマンは聖地イスラエルから船で南仏に渡り
プロヴァンスでのマグダラのマリアの同伴者であり、マリアを葬った聖人です。
サン・マクシマン自身の墓もこの聖堂に安置されています。

バジリカ聖堂の建造までの歴史は、こうです。



* * *

716年、当時この地方を荒らしていたサラセン人による盗掘を恐れ、
マグダラのマリアの石棺は隠された。

1279年、プロヴァンスの領主でナポリ・シチリア王国の国王だったアンジュー伯
シャルルが、マグダラのマリアの墓を発見する。

マグダラのマリアの石棺が隠された場所は、マリアがシャルル伯爵の夢枕に立って教え、
「青々とした1本のういきょうの木が茂るところ」が、その場所であった。

掘り起こすと芳香が立ち上ったことからマグダラのマリアの墓であるとなる。

1295年、教皇ボニファティウス8世により、マグダラのマリアの聖遺物であると認定され、
もともとメロヴィング朝時代(418-751)の教会があった地下礼拝堂の上に
バジリカ聖堂と広大な修道院を建造。
マグダラのマリアの遺骸はこの地下聖堂に安置された。


参考文献:フランスにやってきたキリストの弟子たち(田辺 保著/ 教文館)、他


* * *


ということのようです。
隠された墓を発見し、町はマグダラのマリアの聖地となったというストーリーです。

でも、紀元前1世紀頃は、マグダラのマリアの聖遺物はブルゴーニュ地方の
ヴェズレーという村のマグダラのマリア聖堂にあるといわれていました。

それはなんと、紀元1世紀頃に起こった修道士の窃盗によるもの!?
ヴェズレー修道院創設の功労者、ジェラール・ド・ルシヨンと院長が計画し、
マリアの墓を探すために修道士たちをプロヴァンス地方に派遣したといわれます。

墓を探し当てた修道士たちは、マグダラのマリアの遺骸をヴェズレーに持ち帰り、
以降、ヴェズレーは聖地として巡礼者を呼び込み、目覚ましく発展していきました。


しかし、夢枕に立ったマグダラのマリアから、本当の墓がある場所を教えられた
プロヴァンスのシャルルは、ウチこそが本家本元だー!とばかり、
狂信的に、熱狂的に墓のある場所を掘ったのでしょう!
シャルル自身が、マントーの羽織をはねのけ、汗みずくになって掘り当てたといいます。


何世紀も経ったのちの、この情熱。
マグダラのマリアの本来の埋葬地であるはずのサン・マクシマンなのに、
ヴェズレーなんぞにに人気を取られてなるものかーっ、と。

その執念の賜物か、4つの大きな大理石の石棺が見つかったといいます。
マグダラのマリア本物の遺体と、シドワーヌという聖女のものがすり替えれられており、
何百年も前にヴェズレーの修道士が持ち去ったものはシドワーヌの遺体だった。

ということで、一件落着。


晴れてサン・マキシマン聖堂が建設され、マグダラのマリアに遺体は
もともとの埋葬地から盗掘されることも移送されることもなく、
今も昔も変わらずに聖堂地下に眠る、ということのようです。


サン・マクシマン聖堂と同時期に建設された修道院によってマリアの墓は守られ、
大きな巡礼を組織し、サン・マクシマンは盛隆していきました。
そして、ヴェズレーの威光は徐々に衰退していったのでした。


なんだか、ややこしい話です。
今回の旅よりずっと前に、ヴェズレーのマドレーヌ聖堂に行ったことがあります。
どちらの教会に本物のマリアの聖遺物があるかなんて、わたしにはわかりません。
本当はどちらの教会にもなくて、まだ知らない土地に隠されているかも?
と思ったりします。(かなり自由な個人的妄想です)


聖遺物を巡る勢力争い?とも思える中世キリスト教社会の一面ですが、
マグダラのマリアという人物がフランスにとって、
いかに特別な存在であるかを物語っているようです。




教会内


木の扉を開けると、すぐに聖堂になっています。
ロマネスク様式が長く続いたプロヴァンス地方には珍しいゴシック様式です。
内部には身廊、大きな内陣、側廊の天井はとても高く18mもあり、
窓から差し込む光は一直線に伸びて床を照らし、美しく荘厳です。

光に照らされた側廊を左に進むと、
マグラダのマリアが眠るCrypteクリプト(地下礼拝堂)があります。


地下クリプト


クリプトの石段を数段降りたところにマグダラのマリアの彫刻があり、



クリプト1


暗い地下へ降りたところにマリアの頭蓋骨が収められ、崇敬されています。

やはりメロヴィング朝時代の建築様式は古く、さすがに石造りのアーチも
歴史の重みを感じる迫力がありました。



クリプト2


ここです。↑
しかし何も見えません・・。
(見えても・・・どうかと思いますが・・。)



教会内2


聖堂内にはマグラダラのマリアの図像や彫像がたくさん見られます。

マグダラのマリアの生涯を描いたロザリオの祭壇や
側郎脇の小聖堂の祭壇の扉。



絵画1


説教壇の木彫りの彫刻たち。


レリーフ1


いずれも16世紀以降に作成されたものだそうですが、
マグダラのマリアの重要なエピソードがいたるところに溢れていました。



レリーフ


聖堂を出てお昼ごはんです。
サンマキシマン大聖堂に隣接しているホテル&レストラン(元は修道院)、
ル・クーヴァン・ロイヤルに向かいました。
今日初めての食事にようやくありつけます!

しかし、ふと嫌な予感がよぎったわたしたち・・・。
「帰りのバスの時間を確認しておこうか?」

レストランに入る前に観光案内所に行きました。



修道院


予感は的中したのでした。

「あなたたちが乗りたいバスは、今日は運休よ」
「えーーーっ!?」
「でも、今日の最終バスが20分後にあのバス停から出るわ」
「20分後ですかっーーー!?」
「どこですかーっ、バス停はーっ!」

地図に〇をしてもらった場所へ、一目散に走りました!
真夏のプロヴァンスで、勢いよく走っているのは闘牛とわたしたちくらいです。

がらーんとした広場にバスターミナルを見つけました。
せめて水を買ってバスに乗ろうと店を探したが、一軒も見当たらず。
夕方の開店準備をしていたバーのような店を発見。
仕方あるまい、ここでいいか。
「ごめんくださーい、お水くださーい」と言うも、ペットボトル入りの水は無し。
コカコーラならあるよ、とコーラを買ってバスに飛び乗りました。

15時38分発のバスでしたから、
サン・マクシマンには1時間しかいなかったことになります。

またご飯を食べ損ねました・・・。
ル・クーヴァン・ロイヤルで優雅なランチするはずが、なんということでしょう?
フランスの交通事情のあいまいさに対する憤りと
無念さをこらえるのに必死、コーラをがぶ飲みするわたしでした。

だいたい観光客は地元バスになんか乗らない。
車がないと不便な土地に行くのは覚悟の上だったのだ。
最終バスに乗れただけでもラッキーと思おう。

わたしたちの目的地はAubagneオバーニュ近郊、
Gemenosジェムノという町の宿。

スリルのある旅をしていると、妙にカンが冴えてくるものです。
オバーニュへ行くには、途中の町で乗り換えるらしい。
何のアナウンスもなかったけれど、乗客の気配でそれがわかりました。

無事に乗り継いで、ほっとひと息。
終点のオバーニュまで、あと40分くらいです。

サン・マクシマンのマリー・マドレーヌ聖堂は、
わたしにはしっくりこない何かがありました。
そこにマリア自身のスピリットは感じられないという印象・・・。

聖堂は素晴らしく、マグダラのマリアの聖遺物も安置されているほどですから、
由緒も歴史もある大聖堂ですが、マリアのスピリットは聖堂という箱の中には
居ないような気がするのです。
サント・ボーム山の、あの風、あの光、空の青の中に
捉えることのできな自然の気の中に、彼女は確かに居るように感じました。

そういえば、サン・マクシマンでは声は聞こえなかった。
今回の旅で、どこの教会に行っても聞こえた不思議な声。

ロカマドールの黒い聖母の奇跡の礼拝堂、
モワサックのサン・ピエール教会付属の修道院の中庭、
マルセイユのサン・ヴィクトール修道院、
同じくマルセイユのノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂、
そして、サント・ボーム山の頂で。

それぞれに必ず聞えてきた不思議な空耳の声。
サン・マクシマン聖堂では何も感じられなかった。

聞こえたのはすべて偶然で予期しないことだったので、
一度くらいは聞こえないこともあるでしょう。
むしろ聞こえないほうが普通でしょうし、期待なんてさらさらありません。
きっと空腹すぎたのかもしれません(笑)

長い一日が終わろうとしていました。

早朝に修道院の宿坊を出てサント・ボーム山に登り、
午後はサンマクシマンの聖堂へ行き、
夕食時にはジェムノの宿に到着する予定です。

ジェムノの宿の名はBastide Relais Magdeleine バスティード・ルレ・マドレーヌ。
マグダラのマリアの宿。
かつて、マリア巡礼者を泊めた宿なのでしょうか?

16時58分に終点オバーニュに到着。
そこからタクシーでジェムノに向かい、18時前に宿に着きました。

どんな宿なのでしょう?
期待に胸を膨らませ、バスティード・ルレ・マドレーヌの門をくぐりました。





* ~ * Chaptre 8 Continuer 続く * ~*

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2016.06.21 | マリア巡礼

【08-1】サン・マクシマンへ

サントマクシマン150817


サン・マクシマンへ

Chapter:7 サント・ボームのマグダラのマリア(4) -山頂 のマグダラ礼拝堂 からの続き


【旅程】 2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登山のあと、St-Maximin サン・マクシマンへ移動


山頂のマグダラのマリア礼拝堂でマリアに会い、マリアの声を聞き
すっかり満たされたわたしたち。
朝食も昼食も採ってなかったのに、お腹もまったく空いておらず、
採った食事は ”胸いっぱいの喜び” でした。

この山にまたいつか帰ってくることを誓い、山を下りました。
下山のすがすがしさはまた格別でした。



サントボーム下山
Le 13 juillet 2010 Pour aller à St-Maximin Photos by RESONANCE


プロヴァンスの真夏の光、ちょうど正午の真昼の光は、
サント・ボームの白い山を青く染めていました。
振り返ってみると、そびえ立つ山も緑の森も
夏の日差しに溶け合って、そこには光だけが存在するようでした。



サントボーム下山2


山から降りて、登山道の入り口に帰ってきたところで
「Bonjour! ボンジュール!」 と小さな女の子の声。
フランス人の親子が、すれ違いざまに挨拶をしてくれました。

わたしも「Bonjour!こんにちは!」 と挨拶を交し、すれ違うと
とっても優しいものが、わたしたちを通り抜けてゆくようでした。

ふと振り返り、写真を撮りました。
シャッターを切った後、不思議なことに、
すぐにこの親子の姿は消えてしまいました。

深い森に吸い込まれていったのでしょうか?
幻覚?
真夏の白昼夢?



天使


3人の親子は、まるで光の天使のようでした。
山頂でわたしたちが体験したことを、
「良かったね!」と、
お祝いしに来てくれたのかもしれません。



ピザテラス



下界に下りてきた〜。
麓の広場まで戻るとそんな気持ちになりました。
駐車場の横には、サント・ボーム唯一のカフェテリアがあります。

正午。荷物を預けていた宿坊に戻る時間です。
チェックアウトを済ませ、朝予約しておいたタクシーを待ちました。
ところが、待てど暮らせどタクシーは来ない・・。
電話してみたが繋がらない。電波状況が悪いためだ・・・。
何度かトライして、ようやく繋がった。

「マダム、あなたにずっと・・・」
と、タクシー会社の女性が出た。
プチっと切れる。
また電話する。

「マダム、あなたに電話していたけれど繋がらなかった。」
プチッと切れる。
また電話する。

「マダム、今日タクシーは予約の時間より遅れることを伝えたかったのですが・・」と。
わたしは、え〜い、言い訳がましいことはイイからッ!
「何時でもいいから来てくださいッ!」 と言い返しました。
プチプチ途切れる電波の波間を縫って、ようやく予約し直しました。
予定の時間より1時間遅れてタクシーに来てもらうことに。

ふう~。
やはり友人たちが言う通り、車をチャーターしておくべきだった。
今回の旅、天国と地獄、神聖な夢心地と過酷な現実を
交互に味わう旅のようです・・。

気を取り直してお昼ご飯でも食べようと、カフェテリアでピザを注文しました。
が、そのとたん、あろうことかタクシーが来てしまいました!

「えっ?早いんじゃない? 1時間後って言ったでしょ?」
そんなわたしの驚きなんか、まるで無視。
むむっ。感じ悪い・・。
しかし、これを逃しては足がない・・・。
ピザを泣く泣くキャンセルして、タクシーに乗り込みました。

お世話になった宿坊を後に、わたしたちは
マグダラのマリアの亡骸が眠るという教会に行くために
サン・マクシマンの町へと向かいました。



オステルリー



フランスのタクシー旅はクジみたいです。
吉と出るか凶と出るか?ドライバー次第。
終始無言の手荒な運転。今回は凶だな〜。
山道なんだからスピード出し過ぎないでくださいよぉ。
狭い山道のカーブで、対向車とギリギリですれ違う。
きゃ〜。
その時、「Bonjour! やあ!」 と男の声。

見ると、対向車のドライバーはあの青年でした!
サン・ザカリーの町で、サントボームまで運んでくれた
あの同僚似の笑顔がまぶしい気の良いドライバーです。

「サント・ボームの滞在はどうだった?」と、尋ねるような優しい目で、
わたしたちに手を振りながら去ってゆきました。
わたしたちも手を振り、サヨナラと言いました。

サント・ボーム、行き道のタクシー旅は、大吉だったのを思い出しました。
サン・ザカリーからタクシーでサントボームの宿坊へ。

修道院の宿坊で出会った人々。
ケルトの深い森。
サント・ボーム山のマグダラのマリアの洞窟。
山頂の礼拝堂。

たった1泊だけの
極めて質素なサント・ボーム滞在でしたが、
一生分の満ち足りた喜びがありました。




chemin.jpg


ありがとう、サントボーム!
さよなら、サントボーム!

美しくも切ない別れは、新たな珍道中の始まり。

これから行くサン・マクシマンの町。
そこではどんな運命が待ち受けているのでしょう?




* ~ * Chaptre 8 Continuer 続く * ~*








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2016.03.23 | マリア巡礼

【07-4】サント・ボームのマグダラのマリア(4) -山頂 のマグダラ礼拝堂 -

サント・ボームのマグダラのマリア(4) -山頂 のマグダラ礼拝堂 -


サント・ボームのマグダラのマリア(3) - 神秘の洞窟 - からの続き)

2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登る。
St-Maximin の教会を見学し、Gémenosジェムノのホテルへ。



マグダラのマリアの洞窟を後にして、わたしたちは
サントボームの山頂、サン・ピロンを目指して登りました。

洞窟からもと来た道へ、礼拝搭のある三叉路まで戻り、
礼拝搭の右手の急な坂道を登ります。
その坂道にはサン・ピロンへの案内版があるので、すぐに見つけられました。


パノーマドレーヌ
Le13 Juillet 2010* La Sainte-Baume*Photos by RESONANCE


サン・ピロンまでは険しい山道をジグザグに登ります。
日本だったら、親切に手すりかロープが張られていそうな危険な道も、
フランスのこの山では「すべては自己責任」 という感じです・・。

わたしたちの後ろから修道士たちの声がしたので、道を譲って先に行ってもらいました。
さすがに山道に慣れているのか、あっというまに姿が見えなくなってしまいました。


山道


Col du St-Pilon 標高994m。
峠を登りきったところに標識が立っていました。
稜線に出ました!やった!という気分でした!

その瞬間、バン! と、身体に受けた強い南風。
今も忘れることはできません。
澄み切った青空、地中海から吹き渡る風、遮るもののない夏の強い日差し。
暗い森を歩いてきた後のこの景色は、すべて爽快でした。


頂上


この標識を右に曲がり、山の尾根づたいに歩きました。
山の上まで来ると、太陽の享受か、植生がすっかり南仏らしくなっていました。
ラベンダー、カモミール、名前も知らない花々が石灰岩の岩間から自生していました。
先ほどまで登って来た北斜面のうっそうとしたケルトの森とは、ぜんぜん種類が違います。


ラベンダー


乾いた風に乗って香る花々の間を歩くのは、なんて心地よいのでしょう。


カモミール


遠くにマグダラのマリアの礼拝堂が見えてきました。
この時の胸の高鳴りといったらありません。

ああ、やっと会える!


サンピロンS


伝説によると、マグダラのマリアは一日に7回日課の祈りを捧げる度に、
洞窟からこの山頂まで天使たちに持ちあげられたといわれます。
山頂で天使たちの音楽を聞かされ、それがマリアの食事だったそうです。

Saint-Pilon サン・ピロンとは「聖なる棒」という意味で、昔はマグダラのマリアが天使に
持ちあげられた場所を記して、一本の円柱があったそうです。
それが今は、礼拝堂となりました。


修道士


わたしたちを追い越した修道士の姿も見えました。
人気のない山頂の礼拝堂は、ひっそりと慎ましやかな佇まい。
わたしの背丈ほどの入り口。
中は人が二人くらい入れるほどの小さな礼拝堂。


礼拝堂3


可憐なばらがたった一輪飾られ、雪花石膏で象られたであろう
白いマグダラのマリア像が祀られていました。

素朴な少女のようでした。
少しうつむいて悲しみをたたえながらも、凜とした美しさがありました。

彫刻や絵画に描かれた他のどんなマグダラのマリアよりも、
わたしはここに祀られているマリアに強く惹かれました。



礼拝堂2



マグダラの礼拝堂を取り巻くサン・ピロンのエネルギーは、きわめて神聖です。
風、光、空のブルー。
何ひとつ手に取ることはできないけれど、ゆるぎない何かがそこにある。

マリアが本当に、この地に生きていたかどうかは分からないけれど、
この地を訪れる者は皆、マグダラのマリアに出会うといいます。



礼拝堂4


何ともいえない安堵感に包まれて、わたしはヘナヘナとしゃがみこんでしまいました。
ここまでやってきた達成感とマグダラのマリアに会えた感動で、胸がいっぱいでした。

ふと、「信仰って何だろう?」 と、
自分自身に問いかけました。

祖父から母へ、母からわたしへと伝えられた宗教というもの。
子供の頃、不得意だった何か。
修道院の食堂で、たまたま出くわした意地悪な信者たち。

「信仰って何だろう?」

その時です。


sora.jpg



    ” それは見えないものなのよ
      あなたが信じるものが信仰 
      辛い時はいつでも帰って来なさい ”




信じられないくらい美しい声が聞こえました!
マグダラのマリアの声!
わたしはとっさにそう思い、そして疑いませんでした。
澄んだ鈴の音のような美しい声は、空から降ってくるようでした。
一語一句、とてもハッキリしていました。

わたしが信じるものが信仰!
そうだ、その通り!
そんな当たり前のこと、
どうして気づかなかったんだろう?

”信仰”=”宗教” というカタチに直結していたわたしの脳。
信じることの結果が、集合的なカタチになると宗教になるかもしれない。
けれど、もとは見えないもの。

見えないものを信じる心の力なんだ。

この風や、光や、空のブルーの中に、何かを感じるように。



マグダラカード1



信じる力。
これこそが、マグダラのマリアそのもの。
キリスト復活の第一発見者だったマグダラのマリアは、信じたのですから。
ほかの12使徒たちが疑ったキリストの復活を。

何かヴェールが一気に取り払われたようでした。
問いかけに返事が返ってくるなんて、
感激して泣き出すのではないかと思ったのですが、
当たり前のことに気づかされてスッキリとした感覚でした。

そして次の瞬間に、
「日本人として生きよう!」と、強く思ったのです!

何の脈絡もなく湧き出た思いに自分でも驚きました。
今までももちろん日本人でしたし、日本で暮らしていましたし・・・。
なぜそう思ったのか全く不思議です。

会いたかった人と会う約束を果たした今、
旅路の末に私自身の中心、やっと我が家に帰ってきた・・・。
そんな感じでしょうか?
人生の目的を達成したかのような喜びが、温かくこみ上げてきました。



地図


夫の口からも意外な言葉が飛び出しました。

「いつか生徒さんたちに、ここを見せてあげたい」と。

わたしたちは小さなスクールを運営しているのですが、
そこに集まる生徒さんたち、マグダラのマリアに惹かれる人たちに
この山に登ってもらいたい、と言い出したのです。

わたしたちは団体ツアーやグループ旅行をしたことがないので、
この発言に驚きました。

自分たちが感動したものを、同じ興味を持つ人たちにも味わってもらうことができたら・・。
それは本当に純粋な思いでした。

4、5人くらいの仲良しグループ旅なら楽しいかもしれない。
素敵なアイディアにうきうきして、この山に誓いました。

いつかまたこの山に帰ってこよう と。



下山2



この時、2010年夏。

数年経った2014年、それが50人ものビッググループの旅、
「聖なる旅」になろうとは、まったく夢にも思わないことでした。







* ~ *  Fin * Chaptre 7 * ~*




パンフ表小パンフ裏小
旅の思い出*サント・ボームのパンフレット









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2016.03.21 | マリア巡礼

【07-3】サント・ボームのマグダラのマリア(3) - 神秘の洞窟 -

サント・ボームのマグダラのマリア(3) - 神秘の洞窟 -


サント・ボームのマグダラのマリア(2) - ケルトの聖なる森 - からの続き)

2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登る。
St-Maximin の教会を見学し、Gémenosジェムノのホテルへ。


サント・ボーム山は魔法の山。
聖なる森、神秘の洞窟、光へつづく道・・・。

わたしたちは、ケルトの深い森を、
さらに静寂の中へと、歩みを進めてゆきました。

森の緑のアーケードを抜けて、
視界が広がった先に小さな礼拝塔がありました。
エレガントなルネッサンス様式の礼拝塔は、
フランス王、フランソワ1世から贈られたもの。
11個あった礼拝搭はフランス革命時に破壊され、
現在は4個しか残っていません。


灯籠
Le 13 Juillet 2010* La Sainte-Baume*Photos by RESONANCE


礼拝搭を過ぎて、ごろごろと岩がむき出しの急斜面を登ってゆくと、
二股に分かれる道が見えてきました。
まっすぐ進むとマグダラのマリアの洞窟があり、
急斜面を左に登ると、礼拝堂がある聖域、山頂へ到達します。

目印になっている聖域の看板を左手に見ながら、まずは洞窟へと向かいました。

洞窟への道は、途中から階段になっています。
階段は150段あり、伝説によるとその数はダビデの詩編の数、
また、ロザリオの数珠の数にちなんで作られたのではないかと云わます。

それにしても、この階段は岩を刻んで作られたそうですから、
ダビデの詩編を読むように、ロザリオの祈りを唱えるようにして、
石工たちは、一段一段 祈りを込めて刻んでいったのかもしれません。



階段2


階段を登ってゆくと、どれだけ高いところにいるのかドッキリします。
左側は岩壁、右側は断崖です。
低い手すりはあるものの、転げ落ちたら大変です!

写真の緑の色が濃い部分は、サントボーム山の影の部分です。
この深緑の影が、ずーっと地上まで伸びていて、
サントボーム山が、垂直にそそり立つ山であることがわかります。


階段からの眺め


眼下に修道院の宿を見つけました。
広場の中の白い一本道が、わたしたちが来た道。
ずいぶんと深い森を分け入って、登ってきたことがわかります。


眼下の修道院2


150段の階段を登りきったところに、洞窟へのエントランスがありました。
エントランスをくぐると、キリストの磔刑シーンの石像があったのですが、
写真を撮りませんでした。


洞窟入口


エントランスから数段の階段を登ると、テラスになっています。
ここからの景色は絶景です。
ピエタの石像があったのですが、それも写真に残しませんでした。
(十字架から降ろされ、聖母マリアの膝に抱きかかえられるキリストの像)

テラスの左手に、小さな建物がありました。
BOUTIQUE ブティック と看板がかかっていて、メダイやキャンドル、
このあたりのハーブを抽出したエッセンシャルオイルなどを販売していました。


ブティック


テラスの右手は、司祭館でしょうか?
修道士たちが出入りしていました。


IMG_1139L.jpg


そして、中央にマグダラのマリアの洞窟があります。
洞窟の穴をふさぐような形でエントランスが作られていました。

かつては、もっと繊細なレリーフが彫られている門だったのですが、
現在はドミニコ修道院の館に移されました。
その館の宿坊に泊まったわたしたちは、幸運にもその美しい門を見ることができました。



IMG_1144L.jpg



洞窟の中に入ると ひんやりします。
祭壇があって、ドイツから来た巡礼の一行がミサを挙げていました。

洞窟に反響する司祭の声がほど良いエコー音となって、
わたしの脳にも音が浸透してゆくようでした。

音って、すごいです。
ここで歌われていた聖歌を今も覚えているくらいです。



ミサ



こだまする司祭の声と、美しい歌声に包まれながら
洞窟のもっと深みへと。

岩の裂け目から、キャンドルの炎で照らし出された像が見えました。
ようやくあたりを見渡すことができるくらいの灯り。

急な石段を地下へ降りてゆくと、”泣く”マグダラのマリア像があります。
キリストを失った悲しみ、苦しみでしょうか。

”Pleurer comme Madeleine ” プリュレ コム マドレーヌ
大泣きすることを、”マドレーヌ(マグダラ)のように泣く” 
というフランスのことわざがあるくらいですから、
”泣く”ことは、マグダラのマリアの象徴なのでしょう。

この像を前にすると、マグダラのマリアの涙は、
大切なもの、大切な人を喪失してしまった全ての人たちを代表して
泣いているのだ、という感覚が沸いてきました。

喪失感を抱えているすべての人への鎮魂の涙。



地下



マグダラのマリアは、ここで祈りと瞑想のため隠遁したといわれます。

プロヴァンス地方の伝承によると、マグダラのマリアは、
キリスト磔刑後、キリスト教に対する迫害から逃れるために、
一層の小舟に乗って南フランスに辿りつきました。

兄(弟?)のラザロ、信徒のサン・マキシマンと共にマルセイユまで流れ歩き、
福音を説き、キリストの本当の教えを伝え歩いたといいます。

よく絵画の題材で、罪の女、娼婦として描かれるマグダラのマリアとは、
全く異なったプロフィールです。

聖書にも、キリストの説教を聞くまでは乱れた生活を送る罪の女で、
キリストによって改悛したと描かれています。

ほんとうに ”罪の女”だったのでしょうか?



薔薇



8世紀に渡り、この洞窟で40人の王、15人の教皇が即位しました。
アン・ド・ブルターニュ、フランソワ1世、ルイ13世、アン・ド・オートリッシュ、
マザラン、ルイ14世。皆この地を訪れたという形跡を残しています。

フランス王家とマグダラのマリアの繋がりは何なのでしょう?
”フランスの母”というプロフィールも、また、マグダラのマリアの一面です。

”フランスの母”、福音を説く”伝道師”が真のマリアの姿なら、
いつから”罪の女”を着せられ、何によって真実の姿が歪められたのでしょう?

何が真実なのかは、
キリストの磔刑そのものから、本当には誰も知らないのかもしれないし、
また、知る必要もないのかもしれません。



洞窟ステンドグラス



洞窟を後にして、わたしたちは
サントボームの山頂を目指して登りました。

何が真実なのか?

山頂に登りきった時、
驚くべきことにわたしは

マグダラのマリアの声を
聞いたのです。


何が真実なのか。





* ~ * Chaptre 7 Continuer 続く * ~*

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2015.11.15 | マリア巡礼

【07-2】サント・ボームのマグダラのマリア(2) -ケルトの聖なる森 -

サント・ボームのマグダラのマリア(2) -ケルトの聖なる森 -


サント・ボームのマグダラのマリア(1) -宿- からの続き)


2010年7月13日
La Sainte-Baume サント・ボーム山に登る。
St-Maximin の教会を見学し、Gémenosジェムノのホテルへ。


修道院の宿舎で、夕食で隣り合わせた人たちは、とても意地悪だった。
東洋人のわたしたち二人を除き、フランス各地から来ているグループで、
話しかけるも無視された。
なぜ貴方たちみたいな東洋人がいるのかしら?

わたしの被害者意識が何倍にも大きく感じさせてのかもしれないが、
3年住んだパリでさえ、こんな意地悪な人にあったことはない。
わたしが同じキリスト教者だとしても、肌の色や宗派で判断するその人たちが
残念に思えてならなかった。

わたしたちは何かを試されている?
この旅を始めてから、ずっと天国と地獄を交互に味わっている。

でも、わたしの心は意外にも静かでした。

部屋に戻り、シャワーを浴び、窓からサント・ボームの山を眺めました。
わたしの心の奥から、静かで小さな声がしました。


         信仰って、何だろう?



サントボーム山塊ズーム
Le 13 Juillet 2010* La Sainte-Baume*Photos by RESONANCE



翌朝6時に起床。
修道院の宿舎の朝食は、8時30分から食堂が開き、
日本のホテルのように早くはありません。
朝食を採る前に、労働と祈りの時間があるからでしょう。

この後の予定のため、朝食を採らずに登山することを決め、
荷物を部屋に置いたままリュックをかついで登山に出ました。
朝食を採らずに登山だなんて、常識的ではないのですが・・。
非常時のシリアルバーとお水があればなんとかなるサ、という考えです。

朝の山の空気は澄んでいて、おいしい空気が朝食代わりでした。



朝



修道院の横に簡素なカフェと駐車場があって、
その脇にサント・ボームへの登山口があります。

広場まで出ると、山の全景が見えてくるのですが、
それにしても、あの白い山の頂上に、どうやって登るのだろう?
裾野には深い森が広がっていました。

サント・ボーム山塊は、洞窟や森林も含めて、サント・ボームと呼ばれています。
Baume は、プロヴァンス語のBaoumo=洞窟から由来して、
マグダラのマリアがこの山の洞窟に隠棲したことから呼ばれたそうです。



広場



この山塊は、プロヴァンスの小山脈の中ではもっとも広く、もっとも高い山。
一番高いところの標高は1147m、稜線は東西に横たわっています。

南斜面はゆるやかな斜面で、荒涼とした岩肌がむき出しになっているのに対して、
マグダラのマリアの洞窟がある北斜面は、高さ300mの垂直の断崖。
遥か下方に、こんもりとした森林が広がっています。

白い石灰質の岩肌は典型的なプロヴァンス地方の容姿ですが、
サント・ボームを特異な場所にしているのは、緑深い森林。

この大きな壁のような断崖が、南からの太陽の光を遮って森林に影を落とし、
冷気と湿気が保たれて、北フランスのような植生も混在しています。
フランス国有林に指定されている森林地帯は、およそ120ヘクタールあり、
伐採が禁じられているおかげで、古代からの植物たちの命が生かされています。



パノー1


森に入るとすぐ標識がありました。

Chemin des Roys シュマン デ ロワ 王たちの道
Chemin du Canapé シュマン ドュ カナペ 長椅子の道

どちらも洞窟に行くことができます。



道順400


わたしたちは王たちの道を選び、
東からの太陽の光に向かって歩きました。


王の道


フランス王家の白ゆりの紋章が、道の所々にあり、
王たちの道の目印になっています。

歴代のフランス国王たちが、マグダラのマリアの洞窟を詣でたといいます。
1世紀初頭からサント・ボームは巡礼地となり、5世紀頃から国王や僧侶、
巡礼者のために道が整備されました。

マルセイユで立ち寄った、あのサン・ヴィクトール修道院の創始者が、
この地の整備にあたったそうです。

そんな2,000年近くも前から存在する道を歩いているなんて、不思議でした。



山道1


いえ、もっと古く・・。
マグダラのマリアが訪れるずっと前、まだガリアと呼ばれた時代には、
この土地一帯の名を、ケルト民族の英雄とされたGarganos ガルガノスの名を取って、
Garage ガラージュと呼ばれていました。

この森は、ケルト人の神聖な森だったのです。
畏敬の森とされる伝承が、数多く残されているといいます。



白い木



裾野に広がる巨大なブナの木は、
プロヴァンスならではの古代の森の名残を感じさせ、
その中に菩提樹やかえでが混ざり合います。



噴水


途中、湧水の泉がありました。なんてきれいな泉でしょう!

La Source de Nans ラ ソース ド ナン 聖なる泉と書かれていました。

Nans ナンは、”聖なる”を表すケルト語です。
このあたりの村の名前にNans がつくところが多く、やはりケルトをしのばせます。

湧き水の冷たさは、夏の登山者の救いです。
ここで少し腰を下ろして休みました。

もう1時間ほど歩いたでしょうか?



木々のささやき



頭上高く、光に向かって空に大きく伸びる枝葉。
木々が織りなす緑のアーケードの中を無心で歩きました。

緑の風に吹かれ、肌に触れる光を感じ、鳥たちの鳴き声を聴きながら。

時折すれ違う登山者に挨拶をかわし、
その他は、自分と向き合うように何も話さず、
ただ瞑想的にこの美しさの中を歩きました。

それは、なんとも言えず幸せでした。



灯籠



しばらくすると、急に強い光がやってきました。

緑のアーケードを抜けて、視界が広がった先に小さな礼拝塔があり、
ここから聖域であることを示していました。

この時だけ、こんな紫色に映ったのが不思議です。

今まではなだらかに感じた山道も、急な坂や、
ごろごろとした岩だらけの道になっていきました。



灯籠2



礼拝塔のレリーフは、十字架上のキリストと
足元のマグダラのマリアが描かれていました。

マグダラのマリアの洞窟まであと一息です。



サイレンスG



lieu de silence リュー ド シランス 静粛な場所。


わたしたちは、さらに静寂の中へと
歩みを進めてゆきました。








* ~ * Chaptre 7 Continuer 続く * ~*



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2015.09.13 | マリア巡礼

【07-1】サント・ボームのマグダラのマリア(1) - 宿 -

サントボーム150817


サント・ボームのマグダラのマリア(1)-宿-

(マルセイユ- ラ・ギャルド大聖堂の守護のマリア からの続き)



2010年7月12日
マルセイユ駅12時23分発Aubagne オバーニュ行き普通電車に乗り、
バスでSt-Maximin サン・マキシマンへ行き、サン・マキシマン教会を見学してから
Ste-Baumeサント・ボーム山麓の宿へ向かう予定。

11時半!
マルセイユ駅に着いているはずの時間に、まだ丘の頂上に居るわたしたち!
長居し過ぎたノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂から慌ててバスに乗りました。

しかし行先も見ずに乗ったバスは、どうやらマルセイユ駅には行かない。
どこかで降りなければ・・。
わたしたちがわかる街の景色は旧港界隈だけ。
見知らぬ街角で降りたところで、フランスは流しのタクシーはない。
予定通り目的地へ行けるだろうか?

だんだん不安になってきた私の頭に、またあの声が響いてきました。
ノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂での空耳。


       あなたは見るべきものを見る。
       行くのではなく、導かれる。


あぁ、そうだった。
行くのではなく、導かれる。

どのみち、どうにかなるのだ。
頭の半分は、運を天に任せて大らかになる感じ。
頭のもう半分は、外の景色に目を凝らし、降りるチャンスを見計らう。

ラッキーにも旧港界隈に停車する。
そこから地下鉄に乗ろう。

マルセイユ駅に無事戻り、駅裏ホテルに預けていた荷物をピックアップ。
この時、12時ちょうど。
あと23分!

飛ぶように駅へ。
フランスの鉄道は、発車ホームがよく変わる。
素早く発車ホームを確認し、プラットホームへ。
日本のように発車ベルは鳴らない。
12時23分発オバーニュ行きは、まさに動き出す寸前、エイッと、
飛び乗りました!

人は、土壇場になると、超人的身体能力が発揮されるものです。
まるで映画みたいな瞬間でした。



駅2
Le 12 Juillet 2010* Pour la Sainte-Bame* Photos by RESONANCE



マルセイユ駅で買う予定だったお水もなく、 喉の渇きに耐え、
消耗した体力を持ちこたえつつ、 クーラーもない電車に揺られてゆきました。
それでも、プロヴァンスの美しい景色が心を潤してくれました。

いくつかの愛らしい田舎の駅を通過して、オバーニュに到着。

すぐにインフォメーションセンターへ行き、バスの時刻表をもらいました。
どうやら目的地のサン・マキシマンには、St-Zacharie サン・ザカリーで乗り換える模様。

50分くらい待ち時間があるので、ランチにしたいところ。
ところが、オバーニュの駅前は何もない。カフェも自動販売機さえない。
スーパーを探して放浪。喉の渇きも限界に達した頃、小さなスーパーを発見。
ようやくジャンボンバゲット(ハムサンド)とお水のランチにありつけました。

13時30分 オバーニュ 発、サン・ザカリー中心街行きは、無料バスでした。
とてもきれいで窓も大きく、景色が良く眺められました。
石灰岩の岩が迫る山道を走ると、あぁ、プロヴァンスに来たんだ!と、
それはもう、遠足気分でウキウキでした。



サンザカリーへの道



お腹も満ち、気持ちにゆとりもできたので、本を開いてみました。
ラ・ギャルド大聖堂の本屋さんで、魔法使いのような瞬間技で手に入れた本です。

その本には、マグダラのマリアの道行が書かれていました。

イスラエルの聖地から、一艘の小舟でフランスに漂着したのは、
サント・マリー・ド・ラ・メールというカマルグの湿原地帯の町。
マルセイユに宣教に出て、サント・ボーム山の洞窟に隠遁。
亡骸はサン・マキシマン教会に。

マルセイユで偶然訪れた、あのサン・ヴィクトール修道院について書かれていました。
”地下礼拝堂には、マルセイユに着いた聖ラザロとマグダラのマリアが祀られている”
知らなかった!やはり行くべき場所だったのだ。
あの迫力のある黒マリアは、マグダラのマリアとして崇められたのだろうか?

漂着の町、サント・マリー・ド・ラ・メールのことは知っていました。
今回の旅も、何度も行こうか、どうしようかと迷ったあげく、旅程の都合でやめたのでした。

マグダラのマリアの道行が、最後がサン・マキシマンならば、わたしたちもそうしよう。
今日のところはサン・マキシマンに行かず、まっすぐサント・ボームの宿に行こう。
サント・ボームの洞窟に参らずして、終焉の教会に行くわけにはいかない。

予定を変えて、サン・ザカリーの町でバスを降りました。



サンザカリー2



14時02分 サン・ザカリー下車。30分のバスの旅は快適でした。
中心街というのに、人影はまったくありませんでした。
観光案内所を探して、閉まっていたドアのチャイムをしつこく鳴らしました。
何事だ?中からぬっと出てきたのは、強面のおじさん。
タクシーを一台、と、こわごわお願いすると、ココを見ろ! 
おじさんの指の先の看板は、POLICE と書かれていました。
案内所はその隣でした・・。

案内所も閉まっていたので、気の毒に思ったか、おじさんはタクシーを呼んでくれました。
待つこと一時間。遅いのでは?と言うと、町で一台だけだからね、と。

マルセイユの隣町に実家がある友人が、電車旅なんて信じられないよ。
観光タクシーとか紹介するし、マルセイユの伯父さんに聞いて車を出してあげるよ。
そう言ってくれた友人の言葉が、ここでも身に染みました。

休憩から戻った案内所の若い女性が、中に入って、と親切にしてくれました。
優しい笑顔の女性は、勤務していた会社の後輩にソックリでした。
ついでにやって来た気のいいタクシードライバーの青年も、同僚にソックリ!
思えば、いつもこの二人に助けてもらったなぁ。
フランス版ソックリさんを通して、遠く離れた異国からお二人に感謝しました。



サントボームの山を



着いた!ついに来た!
サント・ボーム山が見えた時、感動で飛び上がりそうでした。

人なつっこい同僚似のドライバーは、山道の木々の名前を教えてくれて、
この町の自然や暮らしをほんとうに愛してるようでした。
降りそそぐ光、可憐な花々が咲きみだれる道中は、まるで天国のようでした。



オテリエ


この山の麓にある修道院が、今日の宿。

修道院の宿舎は、登山口にあります。
サント・ボームに登るには、とても好都合な立地です。
けれど、基本はキリスト教信者のための宿ですから、普通のホテルとは違います。
今は変わったかもしれませんが、日本からの予約もスムーズではありませんでした。

受付係も修道士さんでした。
宿泊の規律は厳しく、祈りの時間、食事の時間と決まっていました。
奥から威厳のある修道士さんが出てきて、
貴方たちはどこの教区か?(キリスト教の多岐に分かれている宗派)と尋問、いえ、
尋ねられ、マグダラのマリアに会いに来たと伝えると、へえ、という風でした。

穏やかな口調と冷ややかな目。
そう感じたわたし。
宗教裁判で異端尋問に遭った過去世でもあるのかもしれません。

修道士さんから見ると、宗教心もないマグダラ ファン、といったところでしょうか。
そのお気持ちも良くわかります。
もし、わたしが逆の立場だったとしても、どんな理由であれ、
ここに導かれて来た人たちに聖域を尊重してもらいたいと思うでしょう。

宿坊に入ると、マグダラ ファンに喜ばれそうなプレゼンテーションが立派でした。
マグダラのマリア像の横には、アトリビュートの薔薇の造花が飾られ、
マグダラのマリアのストーリーが書かれたパネルが、何枚も壁に貼られていました。



オテリエ内



決められた時間に食堂に行くと、一斉に祈りを捧げてから宿泊者全員で夕食を取りました。
本当に修道院に来ている実感がありました。
東洋人はわたしたち二人だけ。他はフランス各地の同じ宗派のグループでした。
テーブルに隣り合わせた人々は、とても意地悪でした。
普通に話しかけようとも、無視されました。
なぜ貴方たちみたいな東洋人が居るのかしら?

わたしの被害者意識が、何倍にもそう感じさせたのかも知れません。
たまたま出くわした状況なのかもしれませんが、
3年間住んでいたパリでも、こんな人たちに会ったことはありません。

残念でした。
わたしも自分の意志ではないにせよ、生まれてすぐに洗礼を受けた同じ信者です。
信者かどうかより、それ以前の問題です。
肌の色や宗派で判断する? 自分たちが一番正統とでも?
悔しさや悲しさなんて感じません。
ただただ、残念でした。


        あなたは見るべきものを見る。
        行くのではなく、導かれる。


あの意味。

食堂に居た人たちも、わたしに何かを見せたのかもしれない。
心優しいフランス版の同僚たちも、何かの象徴なのかもしれない。
そういえば旅を始めてからずっと、天国と地獄を交互に味わっている。

わたしたちは何かを試されてる?
いったい何を試されているのだろう?



窓



私の心は、意外にも静かでした。

広々とした簡素な部屋は、とても清潔でした。
蛇口と洗面ボールだけの洗面台がついていて、
籐の椅子とテーブル、簡易なタンス、小さなシングルベットが3台ありました。

荷物をほどき、部屋着に着替え、
1m四方もないくらいの共同シャワー室で沐浴しました。
シャワーホースのない、壁に据え付けのシャワー口からお湯が落ちてくる形式です。
質素なシャワーであれ、汗汚れを水で流せるのはありがたい。
清貧の僧侶、そんな感じがしてきました。

人生の余分な何かをそぎ落とすには、素晴らしい環境でした。
そのためのリトリート(精神修養)として、修道院の宿舎はあるのですから。



部屋からの眺め1



部屋の窓から、サント・ボームの山並みが見えました。
眺めていると心が澄んできます。

岸壁のような山の中腹にマグダラのマリアの洞窟があり、
頂上には、マリアの礼拝堂があります。
すそ野はケルト時代からの原生樹林で覆われ、
いったいどうやって登るのだろう?

いよいよ明日、あの山に登る。
ずっとずっと憧れ続けた聖なる山、サント・ボーム。
マグダラのマリアさまに会いに行く。

白く美しいサント・ボームに、オレンジ色の夕陽があたりはじめました。



部屋からの眺め2



母は熱心なキリスト教者でした。
子供の頃は辛かったと、ここに来ていろいろ思い出しました。
マリアさまは好きだけれど、母からお祈りを強要されるのも、
神様はきっといると信じるけれど、教会に行くのを強制されるのは嫌でした。

今思うと、教会に行くことが嫌なのではなく、強制されることや
母との関係によるものかも知れません。

遠く、サントボーム山頂のマグダラのマリア礼拝堂が、かすかに見えました。

わたしの心の奥から、静かで小さな声がしました。


      信仰って、何だろう?


翌朝登ったサント・ボームの山頂で、
人生で忘れられない言葉がわたしの胸に刻まれました。





* ~ * Chaptre 7 Continuer 続く * ~*


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2015.08.29 | マリア巡礼

【06-4】マルセイユ- ラ・ギャルド大聖堂の守護のマリア

マルセイユ- ノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂の守護のマリア

(マルセイユ- サン・ヴィクトール修道院の黒マリア からの続き)


サン・ヴィクトール修道院を出て、見上げた坂道の向こうに、
Notre-Dame de la gard ノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂が見えました。

マルセイユ駅には11時半に戻らなければいけないし、
以前も来たことがあるし、見学する予定ではなかったのですが、
「またマルセイユに来れた事に感謝して、御礼参りに詣でよう!」と、言い出した
夫の提案で行くことにしました。



坂道2
Le 12 Juillet 2010*Basilique Notre-Dame de la garde * Photos by RESONANCE



地図もなく道順も適当ながら、大聖堂を目指しました。
広い駐車場前に出ると、人と車で混雑していました。

見上げる聖堂は巨大です。
金色に輝くマリア像が、鐘楼の頂上にそびえ立っていました。
Norte-Dame de la gardeは、「守護の聖母」 という意味。

海路からであれ、陸路からであれ、
マルセイユに到着すると、まず目に入るのが、この大聖堂です。
標高162mの山頂に建てられた大聖堂の上に置かれたマリア像は、
まさしく、マルセイユを守るように、港と街を見下ろしています。



教会外観1



現在の建築は、19世紀のローマ・ビザンチン様式ですが、
13世紀には、サン・ビクトール修道院の許可を得て建てられたという
聖母の礼拝堂があり、それを見張り(ギャルド)礼拝堂と呼んだそうです。

その後、見張り(ギャルド)の丘に要塞を建て、聖堂を拡張してゆきました。
15世紀に造られた要塞の面影が、跳ね橋に残っていました。



はね橋



聖堂の中は多色大理石が美しく、モザイクや絵画で飾られており、
正面には、黒い聖母像が祀られていました。
守護の聖母のお姿は、鐘楼頂上に金マリア、聖堂内は黒マリアでした。


聖堂内部



十字架のキリストは、どこにも見当たりませんでした。
おそらく聖母の台座の下に見受けられるパテ十字だけが印でした。

聖母に捧げられた聖堂だからとはいえ、聖書の世界では、
聖母マリアはキリストの母親でキリストより出過ぎることはなく、
ましてや、女性が神格化されて、堂々と中央に祀られているなんて驚きです。
やはり、女神信仰をもつギリシャ人が開祖であったマルセイユの歴史の由縁でしょうか?



マリア2



聖堂の椅子にひざまつき、巨大な黒い聖母像を見上げていると、


       あなたは見るべきものを見る。
       行くのではなく、導かれる。


あの声がしました。

ロカマドール、モワサック、マルセイユのサン・ヴィクトール、これで4度目です。
もう空耳も、自然現象でした。
予定になかったサン・ヴィクトール修道院で、迫力の黒い聖母像を見せられ、
この大聖堂にも導かれるようにして来たのですから。



天井画船とメノーラ



天井や壁のモザイクは見事です。
船の模型が吊るされていて、これは航海の無事を願うものだそうです。

そういえば、ロカマドールの黒マリアも囚人と船乗り、旅人たちの守護者でした。
先ほどまでいたサン・ヴィクトール修道院にも、船にまつわるお話があります。
毎年2月、シャンドールの行列がある(主奉献と聖母のお清めのろうそく祭)祝日に、
小舟の形をしたナベットと呼ばれる伝統菓子を食す習慣があります。
船の形は、最初の宣教師たちがマルセイユに船で来たことを表すそうです。
船と黒マリアの関係はとても深い・・・。

吊るされた船の模型を見ていたら、突然、祖父の顔が浮かんできました。

そうだった、おじいちゃんは船乗りだった!
ヨーロッパ航路の客船航海士で、ポルトガルかフランスでキリスト教の洗礼を受けた。
母から話を聞いた時は、どちらの国かなんて関係ないことだったけれど、
きっとフランス、マルセイユではないだろうか?
このノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂ではないか?
今、ハッキリと、自分にはわかるような気がしました。

船乗りと旅の守護者、黒いマリアに祖父も祈っただろうか?
ここに導いたのは祖父だったのかもしれない。
こんなに近い親族と縁があるマルセイユなのに、素通りするつもりだったなんて・・。
情報も少ない時代に、教会やマリア像が祖父の目にどう映ったのだろう?
もうとっくに天に帰った祖父を思い、深く祈りました。



天井画1

ラギャルド見晴らし



聖堂前を出て、眼下に広がるマルセイユのパノラマを楽しみました。

海が懐かしいと思うのはなぜでしょう?
わたしだけのことなのか、人類の共通感情なのかはわかりませんが。

ぼんやり妄想から目覚めると、なんと11時半!
駅に戻る時間です!思いがけず長居してしまった!
ひゃ〜っと青ざめているヒマもなく、バスか車を探しました。
徒歩で山を下る時間はない。

小走りしながら、大聖堂付属の本屋さんが目の端に入りました。
こんな時間のない時に何を思ったか、わたしは本屋に吸いこまれ、
まるでそこにあるのを知っていたかのように、ぱっと一冊の本を手に取り、
急いで会計をし、本屋を出て、何事もなかったかのように、また小走りしました。

この間、およそ1分くらい。
自分でも理解に苦しむ異様な行動でした。

しかしこの本が、この後の旅の重要なガイドとなろうとは、
夢にも思わなかったことです。

周遊バスを見つけて乗り込むも、NONと言われ、運転手が指差す方向に
街に下りるバスがありました。
行先も見ずに乗ったバスは、マルセイユ駅には行かない。
見知らぬ街のどこかで降りるしかないけれど、
下車したところで、フランスは流しのタクシーはない。

時間までに駅に戻り、予定通り目的地に行けるだろうか?
だんだん心配になってきたわたしの頭に、あの声が響きました。


     あなたは見るべきものを見る。
     行くのではなく、導かれる。


そうだ。
行くのではなく、導かれる。

あの声が、いつの間にか自分の声になっていました。






* ~ * Fin * Chaptre 6 * ~*






img08476-2LL.jpg img08476-1マリアLL
旅の思い出*ポストカードとサン・ヴィクトール修道院のシャンドールの本







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2015.08.22 | マリア巡礼

【06-3】マルセイユ - サン・ビクトール修道院の黒マリア

マルセイユ - サン・ヴィクトール修道院の黒マリア

( マルセイユへ(2)- 旅路- からの続き)


2010年7月12日
マルセイユ駅12時23分発のAubaneオバーニュ行き普通電車に乗り、その後、
地元のバスに乗って、サント・ボームの麓、St-Maximinサン・マキシマンまで行きます。

当初は、マルセイユからバスでの楽チンな旅の予定でした。
大幅に予定が変更されたため、マルセイユで半日時間が空いてしまいました。
以前も来たことがあるし、そんなに興味もないし、どうしようか?

そして、予期せぬことが起こりました。
わたしは、ホテルのフロントにあった観光ガイドに目が釘付けになりました。

えっ?マルセイユにも黒マリアがいるの?
Abbaye St-Victor サン・ヴィクトール修道院というところでした。

駅には11時30分ころに戻れば大丈夫。
ホテルに荷物を預け、Vieux-Port 旧港駅まで地下鉄に乗って行くことに。
昨日バス停探しに地下鉄に乗ったおかげで、路線図が頭に入っていました。



ヴィクトワル修道院
Le 12 Juillet 2010*Abbaye St-Victoir* Photos by RESONANCE



港の坂道を登るとサン・ヴィクトール修道院がありました。

要塞化した修道院は、3世紀の殉教者、聖ヴィクトールの墓地の上に
東方からやって来た聖者ジャン・カシアンによって、5世紀に建てられたもの。
フランス最古の修道院といわれています。

そしてそのまた上、サン・ヴィクトール修道院の上に、13世紀に建てられた聖堂があります。
何世紀にも渡り改築や修復を繰り返してきた、マルセイユでも最古の宗教建築です。
現在も発掘調査と修復が続けられているそうです。

黒マリア信仰は、11世紀になって盛んになり、崇められました。
聖堂のCrypte クリプト(地下礼拝堂)に、Notre-Dame de Confession
ノートル-ダム・ド・コンフェッション(懺悔の聖母)と呼ばれる
黒い聖母子像があります。



教会入口


聖堂入口の聖母子像がわたしたちを出迎えてくれました。

ロカマドールの黒マリアさまと、フォルムが同じです。
木製で、全長70cm くらい。
黒い肌、正面を向いて玉座にすわり、まっすぐ見開いている目。
膝に座る幼子イエスの顔は、決まって大人びています。

入口の聖母子像は、おそらく時代の新しいものでしょう。


教会のマリア様


古くから崇められている黒い聖母子像は地下に居ます。 
売店にいたマダムにクリプトの場所を聞き、番頭さんのようなムッシュウに
鍵のかかった古い扉を開けてもらいました。

普段は鍵がかけられており、見学を申し出なければ見ることはできません。
帰りの時間が気になって、扉の上の時計を見ると17時過ぎで止っていました。
いつから時が止っているのだろう?

わたしたちが中に入ると、ギィィィ~パタン、と
扉が閉まる音を背中で聞きました。
ちょっと怖い・・・。


売店


地下に続く階段を降りていきました。
ひんやりとした冷気。
地下は照明が少なく、真っ暗でした。
闇に眼をこらしてようやくあたりが見え、最初はこわごわでした。
なにせ、聖堂の下に修道院、修道院の下は墓地です。。。
見学者も、わたしたち二人だけです。


地下階段


階段を降りるとすぐ、礼拝堂らしき椅子が並んでいるのが
うすぼんやりと見えてきました。

椅子の最前列の先に、聖母子像を見つけました。
真正面に鎮座するのではなく、左側の壁に掛けられていました。


黒マリア1


この黒い聖母子像に、あまり近づけなかったのを覚えています。
正直、迫力を感じて少し怖かったのです。
直視するのも はばかれる気配がありました。

このマリアさまは、確かに地下にいる。
この場所が冥界にも思えて、早く立ち去りたい気分でした。

祈るでもなく像の前に立ちすくんでいました。
すると・・・
    
        死者のために祈りなさい。

声が聞こえました。

ロカマドールの黒マリアさまや、モワサックの杉の木と同じように、
あの空耳です。

サン・ヴィクトール修道院の、この迫力ある黒い聖母子像を前に、
空耳の真実を突きとめたり、疑ったりはどうでも良いことでした。
事実、わたしたちは家族を亡くしたばかり。
だから、このマリア巡礼の旅に出たのですから・・・。
わたしたちは他界した家族と、すべての死者のために祈りました。


地下入口1


いつのまにか入って来ていた男女ふたりの話し声がして、
祈りを終えて、上の聖堂へと戻りました。


扉


聖堂を出ると、真っ白な光が目を刺すようでした。
冥界から地上へ這い出たような気分です。
光がなんてありがたい。

目の前の広場からは古い町並みと港が見えて、なんだかほっとしました。
あの港から古代ギリシャ人が来たのかな?


外1


マルセイユの歴史は古く、紀元前600年頃、ギリシャ系のフォカイヤ人が
新天地を求めて海路マルセイユに到着し、マルセイユを建都したそうです。
地中海有数の港になった、Massaliaマッサリア と呼ばれていた時代です。

ギリシャには女神信仰があり、キュベレやアルテミス像を持って旅したといわれます。
明らかに異国の香りを放つサン・ヴィクトール修道院の黒い聖母像の前身は、
こういった女神たちだったのかも知れません。


パノー2


ロカマドールの黒マリアと、サント・ボームのマグダラのマリアに会いたい思いだけで、
そのほかは、ろくな情報も集めずに旅に出ました。
ほとんどのことは、旅の後から知ったことばかりですが、
旅から戻って5年後、巡礼記を書いている今、強く思うのです。

サン・ビクトールの黒い聖母像を見ずして、
マグダラのマリアのことを本当に知ることはなかっただろう、と。

それは知識ではなく、あの地下礼拝堂にあった空気。
子宮という闇から生み出される前のような、
そして地下に葬られた後の、あの暗闇を包んでいた空気。

生み出し、安らかな永遠の眠りを祈る黒い母。
サン・ヴィクトールの黒い聖母像は、母なるものの元型をとどめているようでした。

予期せず出会えた 未知の黒い聖母子像。
偶然の導きに感謝しました。


外2


港の坂道は旅情を誘います。

坂の上を眺めると、あの懐かしのノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂が見えました。


坂道


「詣でよう!」と、夫が言いました。
マルセイユに再び来れたことに感謝して、御礼詣りに行こうと。
時間を気にしつつも、行くことにしました。

目の前に現れたものは導き。
モワサックの天使青年の時のように、ラッキーに違いありません。

わたしたちは信頼の翼を広げ、ノートル-ダム・ド・ラ・ギャルドへと、
急な坂道を飛んでゆきました。




* ~ * Chaptre 6 Continuer 続く * ~*













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2015.08.20 | マリア巡礼

【06-2】マルセイユへ (2) - 旅路 -

マルセイユへ (2) - 旅路 -

マルセイユへ - 光の道- からの続き)


2010年7月11日
およそ14時間滞在したモワサックから、タクシーに乗りモントーバン駅へ。
そこからトゥ―ルーズへ行き、乗り換えをしてマルセイユへ向かう予定でした。
駅の掲示板を見ると、モントーバンにも停車するマルセイユ行きがあるようです。

これはラッキー。
チケットを変更してもらうために窓口に行きました。
普段から上機嫌であろう面もちのお姉さんは、手際よく手続きをしてくれました。
ついでにスーリヤック駅でレールパスが使えなかった苦情を話すと、
乗車前に乗車日を手書きで記入する必要があるとのこと。
きちんと説明してくれました。

そうだった、うっかり忘れてた。
スーリヤックのお姉さんは「日付けを記入してください」といえば済んだはず。
なぜ正規料金でチケットを購入させたのだろう?
フランスでは、ラッキーもアンラッキーも対応する人によると聞いたことがあります。
まったくです。それを実感するチケット変更手続き事件でした。

10時14分発のCORAIL TEOZに乗り込み、終着駅マルセイユには14時48分に到着。

約4時間半の旅路。
車内販売のパンとサラダのランチ、雑誌をめくったり、ぼんやり車窓を眺めたり。

けっこう好きな時間です。
体はたしかに電車に乗っているけれど、実はどこにも存在していないのです。
心は過去や未来を飛びまわり、自由を楽しんでいるようです。



マルセイユ駅
Le 11 juillet 2010*Marseille* Photos by RESONANCE



Marseille St-Charles マルセイユ サン・シャルル駅は、異国情緒に溢れていました。
南の強烈な光、ヤシの木、高台にある駅の正面玄関テラスからは町全体を見渡せて、
遠く、Notre-Dame de la garde ノートル-ダム・ド・ラ・ギャルド大聖堂が見えます。
この大聖堂には過去、やはり夫と二人で訪れたことがあり、懐かしく眺めました。

今回のわたしたちはマルセイユ観光には興味なく、ホテルもアクセス重視の駅裏の宿。
チェックイン後、翌日乗るバスの停留所の確認に出ました。

マルセイユ駅発着だったはずのバス停は移動されていました。
こんなことしょっちゅうだから、イチに確認、ニに確認な、フランス電車旅。
駅構内にあるインフォメーションセンターで調べてもらうと、中心街に移動したようです。
せっかく駅裏ホテルをとった甲斐もなし。

気を取り直して地下鉄で現地へと赴いたものの、目的地へ行くバス停は皆無でした。
インフォメーションセンターの情報でさえ、アンラッキーがあるようです。

どうしよう?どうやって行こう? 
あの憧れのサント・ボーム山、マグダラのマリアの洞窟へ。

パリに住む報道取材コーディネーターをしている友人が、
電車旅なんてやめなよ、車をチャーターしてあげるよと言ってくれた言葉が身に染みました。
車が苦手なわたし・・・。こんなことがあっても好きなんです、電車旅。

バス会社を調べると、発着はマルセイユではなく、Aubagneオーバーニュという町のよう。
マルセイユ駅から普通電車に乗って、オーバーニュ駅へ行くことにしました。
やっぱり駅裏ホテルで正解だったと、一喜一憂を味わうのでした。

すでに夕闇迫るマルセイユの街。

折しも本日は、スペイン対オランダのワールドカップ決勝戦。
マルセイユはサッカーが盛んなことで有名、どちらが勝っても街は荒れます。
以前パリで決勝戦があった時、たまたま居合わせたわたしの記憶がよみがえり、
早々とホテルに退散しました。

大改装されたばかりのマルセイユ駅構内はとても便利。
テイクアウトできるお店もたくさんあります。
お惣菜を買って、キッチン付きホテルでのんびり夕食を取ることにしました。



マルセ決勝1

ワールドカップをテレビ観戦。

マルセ決勝2

GooooooL !!!

マルセ決勝3

GoooooL !!!

旅路のつかの間の娯楽気分。

さて、翌日わたしたちも、マグダラのマリアの洞窟に
晴れてゴールインできるでしょうか?





* ~ * Chaptre 6 Continuer 続く * ~*











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2015.08.18 | マリア巡礼

【06-1】マルセイユへ - 光の道 -

バナー_マルセイユ

モワサックのサン・ピエール修道院(2)夢の回廊 からの続き)

2010年7月11日
Midi-Pyrénées ミディ- ピレネー地方、Moissacモワサックの街から、
Provence地方のMarseilleマルセイユへと、東に横断します。

モワサックのホテルからタクシーでモントーバン駅へ行き、
普通電車に乗ってトゥールーズ駅 へ。
急行列車TEOZに乗り換えて終点 マルセイユ駅。

目的は、マルセイユの北東にある La Sainte-Baumeサント・ボーム山。
今回の旅のハイライト、マグダラのマリアの洞窟に行きます。

9時の電車に間に合うよう、7時に起きてタクシーに乗りました。

モントーバンへの道は、光の道でした。





ひまわりの道修
Le 11 Juiilet 2010*Partir pour Marseille*Photos by RESONANCE




夏の太陽。

ひまわり畑。



ひまわりの道L


映画のワンシーンのようでした。



ひまわりの道3L



マグダラのマリアさまに会う

胸の高鳴り。



光の道



この光の道は、

どこまでも どこまでも



光の道2



永遠に

続くようでした。





* ~ * Chaptre 6 Continuer 続く * ~*






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2015.08.17 | マリア巡礼

【05-2】モワサックのサン・ピエール修道院(2)夢の回廊

モワサックのサン・ピエール修道院(2) - 夢の回廊 -

モワサックのサン・ピエール修道院(1) - 予感 - からの続き)


サン・ピエール修道院付属の教会に着いたはいいものの、
お目当ての回廊へゆく扉が見つからない。
誰に聞いても、「知らない」と冷たくあしらわれ、
まるで、すべての扉が閉じられたかような絶望に伏せるその時、
天使のような美青年が現れました。

「回廊までご案内しますよ」

救われた思いで、天使青年についていきました。
しかし、どんどん教会とは離れてゆき、本当にこっちでいいの?と、
一抹の不安も。

金髪が陽に輝き、透けるような白い肌を持つ青年の声はきわめて美しく、
話し方に気品が感じられました。

うん。大丈夫。
だってこのヒト、こんなに目が優しいもの。
私たちは天使青年を信頼しました。

「ここですよ」

回廊への入館窓口に無事到着しました。
入場料が必要だったので、発券窓口へ行くと、
つい先程「知らない」といって門前払いしたお姉さんがいました。
信じられません・・。

天使青年は、発券係のお姉さんに、何やら耳打ち。
するとどうでしょう?
「quinze minute キャンズ ミニュッツしかないけど、どうぞ」といって、にっこり。
回廊への扉が開かれたのです。(実際には小さく細い入口)

どうなってるの?

しかもこの場所は、さっきまで私たちがいた場所です。
どうしてあんなに遠回りを?

どういうこと?
あなた何者?

天使青年に話しかけようと振り向くと、もう姿はありませんでした。

夢?

でも夢なら覚めないで!
閉館まで、あとquinze minute キャンズ ミニュッツ15分!

私たちは夢に突入していきました。



回廊1
Le 10 Juillet 2010*Moissac* Photos by RESONANCE



ああ、なんて美しいのでしょう!
夢の回廊!

世界で最も美しいと言われている回廊は、
東西南北約40メートル四方の空間に、列柱が整然と並んでいました。

よくみると一本と二本の華奢な円柱が交互にならび、
一辺の回廊の中央には太い角柱が配されて、リズムと安定感をもたらしていました。



回廊2



11世紀のものとされる88本の柱頭は、植物や花々が彫られ、
旧約と新約の聖書が題材になっています。

アダムとイブ、カインとアベル、ダニエルと獅子たち、カナの結婚など、
数々の彫刻が、壮大な絵巻物を織成していました。

この美しさはみごととしか言えません。
わたしを惹きつけてやまないロマネスクの柱頭彫刻については、
このブログのカテゴリー ”色と光のアート参拝” で、改めて書こうと思います。

それにしても おかしい・・・。

回廊には私たちたった二人だけ。
真夏のバカンスの、こんな有名な観光地に誰もいないのです。

中庭には象徴的な大きな杉の木がありました。
杉の木が一番よく見えるベンチに座り、ひと口お水を飲み、
贅沢な静寂の中に浸りました。



杉



するとその時、

    「よく来たのう~」 

と、杉からおじいちゃん風の声が聞こえました。
えっ?空耳?
それは私にではなく、夫に話しかけたような気がしました。
何やら不思議の世界にいるような。

時計を見ると、いけない!閉館時間です!
静寂は破れ、現実に引き戻されて出口を探して走りました。

12時までのシンデレラ。
魔法が、夢が、終わってしまう。

出口と間違えて、らせん階段に出てしまいました。
円形の形の塔のようでした。
ここじゃないよね?
この塔に登ってしまったら、もう帰れない。

早く出ないと閉じ込められてしまう。
回廊で野宿はご免です。

いま来た入り口(出口?)へと、急いで戻りました。



回廊と人



これはまた、どうしたことでしょう?

回廊に戻ると、人でごった返していました。
よく見るとエレガントな洋服に身を包んだ人々。
いつの間に?
ものの30秒くらいの間に、こんなに人が一斉に入館するでしょうか?
しかも、もう閉館のはず。

タイムスリップしたような夢の回廊から、
どのように外に出たのかは覚えていません。

気が付いたら、最初に着いたサンピエール修道院付属教会の入口にいました。
着いた時にはなかった薔薇の花びらが、地面にたくさん撒かれていました。

とっても短い間に結婚式があったようです。
あの回廊にいた人々も、参列者だったのでしょう。

quinze minute キャンズ ミニュッツ。
たった15分とは思えない。
2,3時間過ごしたような、いえ、
時が止まったかのような、異空間に迷い込んだようでした。



hotel.jpg



モワサックは、Tarn タルヌ川と Garonne ガロンヌ川が交わる高台にある街。
中心街から離れた川沿いのホテルに戻り、今日一日を振り返りました。

ロカマドールからハプニング続きの移動、
意地悪な人々と天使青年の導き、
おじいちゃん杉の労いの声、15分だけの夢の回廊。
なんだか不思議な一日でした。



kawa.jpg



部屋の窓を開けると、真下に川が流れていました。
大きな川の水の流れはなく、まるで夜空を映す鏡のようでした。

すぐ近く、タルヌ川に架かる眼鏡橋も水面に鏡像を作り出していました。
眺めていると、また異空間に入っていくような。

モワサックの一日は、どこまでも夢とうつつの狭間にいるようでした。




* ~ * Fin ~* Chaptre: 5 * ~*





カタログ

本
*旅の思い出*サン・ピエール修道院のカタログとサンチャゴ巡礼路の美しい写真集








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2015.08.16 | マリア巡礼

【05-1】モワサックのサン・ピエール修道院(1)予感

バナー_モアサック修整


(ロカマドールの黒マリア(4)巡礼路 からの続き)

2010年7月10日
正午前に中世都市ロカマドールを離れ、次の目的地、Maissac モワサックへ。

Midei-Pyrénées地方、Toulouse トゥールーズの北にある小さな街
モワサックを有名にしているのは、Abbaye St-Pierre サン・ピエール修道院の回廊です。

ロマネスク芸術の最高峰といわれる回廊を、一目でいいから見たい。
マリア巡礼地ではないのですが、憧れ続けた場所のひとつでした。


michiL.jpg
Le 10Juillet 2010* Aller à Moissac * Photos by RESONANCE


ロカマドールで、タクシードライバーはたった一人なのだろうか?
着いた日も離れる日も、同じドライバーさんでした。
予約したのに、待っててくれなかったあのドライバーさんです。

険悪な雰囲気になるのもイヤだから、
「ロカマドールは素晴らしい街でした~」と話しかけても無言です。。。

なんだか嫌な予感がうっすらと。

流れる景色は美しく、のどかな田舎道、渓谷やキャンプ場やお城もあって、
沈黙の車内とは裏腹に、外の世界は平和でした。


L.jpg
出典:Guide Découvert


わたしたちが立てたスケジュールは、

Rocamadour ロカマドール ⇒ Souillacスーリヤック駅までTAXI に乗り、
Souillac スーリヤック駅 ⇒ Montauban モントーバン駅まで急行列車TEOZでゆく。
Montauban モントーバン駅で乗り換え、Moissac モワサックへ。

ところが予感的中か・・・。 
スーリヤック駅から乗るはずだった電車がなかった。
時刻表にはあったはずなのに?

フランスではよくある事と気を取り直し、チケット販売窓口へ。
普段から不機嫌な顔つきであろうお姉さんに、電車の変更をお願いするも、
こちらも上手くいかず。
日本で購入した電車周遊券のレールパスが使えないというではないですか。
そんなはずない、と交渉しても、NON!の一点張りのお姉さん。

正規料金であらたにチケットを買うハメに。
旅行者には時間がない。悔しいけど揉めてるヒマはない。
予定より1時間遅れの、14時47分、TEOZ一等車 に乗り込みました。


DSC00198_400+2.jpg


フランスの電車は、一等、二等とクラス分けがありますが、普通電車はグチャグチャです。
二等のチケットで一等車に優雅に座ってる人なんてザラです。
この日の電車も、車掌さんがチケット拝見~と巡回して、二等行きを指示される人だらけ。
なのに、「こんな暑い日に、クーラーもない二等に誰が乗れるっていうのよッ」と
悪態をつく乗客。 やれやれ・・。

16時14分、モントーバン駅に到着。
乗り換えするはずだった電車に乗れず、しかも、その日の運行は終了とのこと。
最終目的地のモワサックではホテルを予約してあるし、キャンセルもしたくない。
ならば、と、駅前広場の看板にあったタクシーコールに電話して車を呼びました。

17時20分、モワサックのホテル到着。
メルセデスベンツのタクシードライバーは上機嫌でした。
明日も乗せるよ、と言ってタクシーカードを手渡してくれました。

モワサックの人は感じが良い。
なんだか素敵な予感。
ほのかな期待がうっすらと。

フロントに荷物を置き、お目当ての修道院へまっしぐら。
もう夕方、修道院が閉まるかもしれない。

モワサックの中心街は、どこかうら寂しく、
とても観光地とは思えない町並みを横目に早歩きしました。



外観1


サン・ピエール修道院付属の教会に着いて、急いで中に入りました。
でも、お目当ての回廊が見つからない。

いろんな人に手あたり次第、回廊はどこにありますか?と聞いても、
さあ?と首をかしげて、教えてくれないのです。

そんなことってあります?
意地悪されてるのでしょうか?

もう18時をまわり、閉館の時間が迫ってる。
翌日は早朝に移動する予定なので、今見れないともうチャンスはない。
どうしよう?

絶体絶命の危機に、救いの手は差し伸べられる。
その時、天使のような美青年がすぅ~っと傍に寄って来て、
回廊まで案内してくれることに。

しかし、天使青年がガイドする道は、教会からどんどん離れていく。
もしやヘンなところに連れていくのではあるまいな?と疑惑の念も。

モワサックの人は感じが良い?
この素敵な予感と、ほのかな期待は的中するか?




* ~ * Chaptre 5 Continuer 続く * ~*


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2015.08.16 | マリア巡礼

【04-4】ロカマドールの黒マリア(4)巡礼路

ロカマドール 第4話 - 巡礼路 -

第3話 - 黒い聖母 - からの続き)



朝陽に照らし出されたロカマドールの街が美しいと聞きました。
ロカマドールから、北東に2Km離れたHospitalet オスピタレの丘から
見下ろす街が絶景のようです。

黄金色に輝くロカマドールを見るために、わたしたちは早朝5時に起き、
まだ眠っている街を歩きました。


明け1450
Le 10 Juillet 2010* Le Chemin de la pèlerinage * by Photos by RESONANCE


薄ぼんやりとした岩山の聖都を背に、街を離れてゆきました。
人っ子ひとりいない路地。
鳥も猫も鳴かない。
息をひそめる街に、足音も消えゆく石畳を ひたひたと歩きました。


明けS2


空には、ほっそりとした三日月。


明けS3


暁の星も輝いていました。

暁の星(あけのほし)は、夜明けの金星のこと。
宵の明星(よいのみょうじょう)も、夕暮れの金星のこと。
どちらもマリアさまに捧げられた呼称なのだと。

子供のころ、よく母から聞かされました。


明けの明星450


三日月と金星。

マリア巡礼で、これ以上のシチュエーションがあろうかと思うほど。
美しい夜明けに感動しながら、朝露にぬれた路地を歩きました。


町

遠景1



辿りついたオスピタレの丘。
ロカマドールが一望できました。
早すぎたのか、黄金色に輝く姿は見られませんでしたが、
朝もやのベールに包まれた聖都は、また格別でした。

ここでしばらくの間休憩して、帰りは違う道を下りました。

中世の門が見えてきて、
門の横には聖ヨハネ病院の跡がありました。
巡礼の途中で病気になった人々を受け入れた施設が、後に病院になったものです。

聖ヨハネ(Saint-Jean サン・ジャン)は、洗礼者ヨハネのこと。
テンプル騎士団の衰退後、ヨハネ騎士団・マルタ騎士団がフランスに根付きました。
この病院はヨハネ修道会の救護所だったのでしょうか?

Hospitalet オスピタレは、フランス語 のオスピタル Hospital =病院。
この丘の一帯は、療養所や保養地だったのかもしれません。

そういえば、ロカマドールの聖都にある7つの教会の中に、
洗礼者ヨハネの礼拝堂もありました。

15世紀にValon ヴァロン家(おそらく貴族)によって奉献された礼拝堂には、
聖ヨハネ修道会騎士、Jehan de Valon ジャン・ド・ヴァロンの棺が収められています。


巡礼路1


わたしたちは、偶然、素敵な道に来たようです!

まさにこの門がロカマドールへの入り口、
この道こそ、正真正銘サンチャゴ デ コンポステラの巡礼路でした。
サンチャゴ巡礼は、フランスからスペインの西の果て、聖ヤコブ大聖堂までを歩く巡礼です。

聖ヤコブはフランス語でSaint-Jacque サン・ジャックといい、
サン・ジャックはホタテ貝の意味でもあります。
巡礼者は杖にホタテ貝の貝殻をぶら下げて歩き、
巡礼路は、ホタテ貝のマークが目印になっています。

この下り坂に、たくさんホタテ貝マークを見つけました。
ロカマドールがサンチャゴ巡礼の中継地点だということも、
この道の存在も、まったく知りませんでした。
わたしたちは得した気分になって、意気揚々と巡礼路を歩きました。

   さあ、歩きましょう!

魂が喜びの声をあげるようでした。


巡礼路3

巡礼路4

巡礼路5


水路があって、趣のある古い巡礼路。
途中、イチジクやローズマリーの花々が香り、ちいさな巡礼宿もありました。
遠くに聖都が見えてきた時、いにしえの巡礼者はどんなに感激したことでしょう。
二差路の間に十字架があり、ここから聖域であることを知らせていました。


IMG_0899_400.jpg


坂を下りきると、ちょうどその時、朝陽が聖都を照らし出しました。
街の灯はひとつずつ消えてゆき、息をひそめていた聖都に活気が戻っていました。

ホテルに戻ったのは7時30分ころ。約2時間半の散歩でした。
朝のすがすがしい空気を吸って、心もすっかり洗われたようでした。


ホテルと気球


朝食をとったテラスから、気球が空中をゆっくり移動するのを見ました。

わたしたちも気球のようだ、と思いました。
旅という非日常的な空間を漂っているのです。


20100710162533_400.jpg


この日の午前中、一泊だけのロカマドールを離れ、
次の目的地、Moissacへ移動します。

ロカマドールでの滞在時間は、およそ19時間。
その間3度も大階段を登り、黒マリアさまに会い、
夜は名物のフォアグラをいただき、早朝に巡礼路を歩く。
たったこれだけですが、達成感でいっぱいでした。

チェックアウトを済ませ、ホテルの外で迎えの車を待ちました。


DSC00140_400-2.jpg


ふと、見上げると・・・!
このホテルは、あの聖ヨハネ修道会騎士、Jehan de Valonの宿でした!

聖都に一番地近い三ツ星とう理由だけで選んだのに、由緒ある宿だったとは。
可愛いいロゴだなぁ、と、撮ったホテルのプレートをまじまじ見て、
旅から戻った後に知りました。


DSC00181_250.jpg
1440-1516
Ancien Hôtel de Commandeur   旧司令官宿
Jehan de Valon  ジャン・ド・ヴァロン
Chevalier de Malte マルタの騎士



秘密は後から明かされる -  と いいます。


   あなたに奇跡をあたえる


礼拝堂での、あの黒マリアさまの声が、また聞こえてくるようでした。



朝日のロカマドールiku







* ~ * Fin ~* Chaptre: 4 * ~*



土産
IMG_4340.jpg
*旅の思い出 - 黒マリアさまのメダイとポストカードたち






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2015.08.14 | マリア巡礼

【04-3】ロカマドールの黒マリア(3)黒い聖母

ロカマドール第3話 - 黒い聖母 -  

第2話 - 聖都 - からの続き)


巡礼団の人の流れのままに、いつのまにかわたしたちは、
黒マリアさまが祀られている奇跡の礼拝堂のミサに参列していました。

西側の岩が壁になっており、岩の空洞の中に礼拝堂があるといった感じです。



壁
Le 9 Juillet 2010 *Dans la chapelle miraculeuse *Photo by RESONANCE



ミサが始まる前にキャンドルを灯します。

礼拝堂はほの暗く、厳かでした。
照明は参列者のキャンドルと、ステンドグラスから差し込む光、
黒い聖母像を護るかのような、四人の天使が持つトーチの灯りだけでした。


20100709231226_450.jpg


会いたかった黒マリアさまは、静けさの波の中に鎮座しておられました。

なんと神秘的な佇まいでしょう!
中央正面に、幼児イエスを膝の上に抱き、玉座に座った黒い聖母像。
木製で小さな、けれど漆黒の光の奥に、慈悲深さを感じるマリアさまです。


20100709231445_450.jpg



この写真では、あまりに遠くて見えませんが、金の冠をかぶり、
服の襟ぐりと長い上着の手首には、金製の精妙に描かれた唐草模様で飾られています。
昔は、像は銀の薄片で覆われていたといいます。

そもそも、なぜ黒いのでしょう?

木材などが元々黒かった、ろうそくの煙で黒ずんだ、などいわれますが、
黒い色の起源は、東方からやってきたことを意味するようです。

黒マリアさまは、なぜかフランスだけに限って存在しています。
現存する百体あまりの像は、特にマッシフ・サントラルといわれる中央山塊、
ピレネー山脈東部、プロヴァンス地方の山間部など。
南フランスの僻地に集中しています。

その多くの像は、12世紀ごろのものといわれますが、もっと古くから・・・。
ガリアと呼ばれていた古代フランス時代から住み着いていた民族の
土俗的な崇敬の対象や地母神と習合していった姿なのかもしれません。

わたしはマグダラのマリアの伝説を思わずにはいられないのでした。

1世紀、イスラエルから一艘の小舟に乗って、南フランスに漂着したマグダラのマリア。
東方の民だった彼女の肌の色も、褐色だったに違いありません。



黒マリア



黒い聖母像の形態は、驚くほど類似点があります。

単独の立体像であること。
木製であること - 梨や胡桃の木。
中にはフランスにはないヒマラヤ杉で彫られているものがあること。
小さいこと - 体長が50cm 〜80cm 位。
同じポーズであること - 玉座に正面を向いて座り、膝に幼子イエスを抱いていること。

黒い聖母が起こすという奇跡は、日照りが続いた後に雨を降らせるという穀物の豊穣や、
大火を消沈させるという自然現象にかかわること、病気の治癒が伝承に残されています。
そして、もうひとつ特徴的なのは、船乗りの保護と囚人たちの解放だっだそうです。

なぜ、船乗りと囚人?
どちらも「旅する者」という意味らしいです。
囚人というのは、異国で捉えられた旅人のことを指して、
スペインのサラセン人に捉えられたキリスト教徒を開放した、とか、
十字軍に参加して回教徒に捉えられた騎士を開放した奇跡などがあるそうです。

旅する者の守護。
それが黒マリアさまの奇跡のひとつであるようです。


*参考文献: 田中仁彦著「黒マリアの謎」



o0300043911841122248.jpg



黒マリアさまに祈りを捧げていると、声が聞こえてくるようでした。


      あなたを待っていた
      あなたに奇跡をあたえる
      ここに来れなかった人々のために祈りなさい 


わたしも、何年も旅に出られない時期かありました。
誰でもが、いつでも気軽に旅できるわけではありません。
確かにそうだなぁという気がして、ここに来れない人たちのために祈りました。

しかし、「あなたに奇跡をあたえる」 というのは何のことか?
ただの空耳なのだから、全く気にもかけず、特別なこととも思わず、
わたしは祈りを終えて、椅子から立ち上がりました。



DSC00107_450.jpg



マリアさまの「受胎告知」が描かれたステンドグラス。
ここでは、天使の顔が黒いのに、マリアさまの肌が白いのが不思議でした。
黒いマリアさまと白いマリアさまは、別人なのでしょうか?

もうすでに暮れかかったロカマドールの村へと、
礼拝堂を後にホテルに向かいます。
明日は、朝焼けに輝く聖都が眺められるというロスピタレの町へ、
早起きして行こうと思います。



マグダラ荘2



途中、Relais Madeleine  ルレ・マドレーヌを見つけました。
Relaisは、昔、巡礼者を泊めた旅籠やのことで、Madeleine はマグダラのマリアのこと。

マグダラの名前の付いた宿があるのです。




* ~ * Chaptre4 Continuer 続く * ~*









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2015.08.11 | マリア巡礼

【04-2】ロカマドールの黒マリア(2) 聖都

ロカマドール 第2話 - 聖都 -

第1話 - 出発 - からの続き)


ロカマドールは、フランス南西部ケルシー地方(Quercy)にある小さな村。
パリからほとんど真南に下り、急行電車で乗り継いで5時間くらいで到着しました。

アルズー渓谷の絶壁の上に、城塞や聖堂、民家が
ところ狭しと肩を寄せ合うようにして村がつくられています。


朝日のロカマドール
Le 9 juillet 2010 * Arrivée à Rocamadour * Photo by RESONANCE


ロカマドールは、初期キリスト教の隠修士聖アマドールの隠遁の地で、
発見された聖アマドールの遺骸が腐敗していなかったという伝説から、
12世紀以降に宗教都市として栄えた巡礼地です。

そういえば駅の標識には、ロカマドール- Rocamadourの語源である
Roc-Amadoer (アマドールの岩)と、ちゃんと意味のあるスペルで表示されていました。

村の歴史は、大きな謎に包まれているといいます。
この険しい石灰岩質の岩山の村を有名にしているのは、
数々の奇跡を起こしたとされる黒いマリア。
奇跡が起こるときは、マリア像の上にある鐘がひとりでに鳴ると伝えられています。

ロカマドールは、フランスでもっとも歴史の古い、黒い聖母の聖地なのです。


教会からの眺望


ロカマドールの無人駅に到着、予約していたタクシーに乗り、
ホテルに着いたのは、もう夕方。
チェックインを済ませてすぐ、わたしたちは
黒マリアが待つ教会へと急ぎました。

吹き鳴らす不思議な音色のトランペットが、遠く、彼方から聞こえてきて、
その音に誘われるがままに、歩を進めてゆきました。

聖書では、トランペットを吹き鳴らすのは大天使ガブリエルの役目。
遠い昔に聞いたような、記憶が呼び覚まされるような懐かしい音色・・・。

辿り着いたのは、まさしく黒いマリアさまが待つ聖都のふもとの石段でした。

トランペット吹きの青年がいました。
巡礼団一行に集合の合図をかけていたのです。
わたしたちも巡礼団に混ざるようにして歩きました。


外観R


見上げると、天高く、岩山の上に聖都がありました。
地面から垂直に、あまりに高いので、首が痛くなってしまうほどです。
ここからは、216段もあるGrand escalier( グラン エスカリエ) 大階段を登るしかありません。
エレベーターもあるそうですが、古の巡礼者のように、足で登りたいと思いました。

階段450段

階段を登りきると、レストランやお土産物屋さんが並んでいます。
お土産も気になるけれど、先ずは聖堂をめざします。

聖堂入り口の門で、自転車の巡礼チームと合流しました。
自転車は、夏のフランスの風物詩ですから、あちらこちらで出会う光景です。
それにしても、この大階段を自転車をかついで登るのですから、相当ハードです。
ゴルゴダの丘まで十字架を担がされたキリストの追体験なのでしょうか?


自転車


聖都広場に到着。

ここでの写真は、見上げる聖堂群しか撮れていませんでした。
岩と合体して、なんとも不思議な光景です。

広場2

岩山の上の聖都は、6つの聖堂と礼拝堂から成っています。
ノートルダム礼拝堂、聖ミカエル礼拝堂(12世紀)、聖ソーヴァ大教会堂、
聖アンヌ、聖ブレーズと洗礼者ヨハネの礼拝堂、聖アマドール教会、大修道院付属の館。

塔のある建物は、大修道院付属の館です。


教会からの眺望2

こちらは、聖ミカエル礼拝堂。
聖ミカエルに奉献されたすべての殿堂と同じように、礼拝堂は高所にあります。
断崖が屋根となっているため、風雨から守られて12世紀の姿をとどめているそうです。


ミカエル礼拝堂


北の壁、8メートルの高さのところに、美しいフレスコ画がありました。
聖霊の鳩を頭上においた聖母マリアと大天使ガブリエルが描かれた「受胎告知」。
その右の「エリザベト訪問」には、聖母マリアと従妹のエリザベトが描かれています。

フレスコ画の画題が、この場所の意味を暗示させるようでした。

それにしても、12世紀のフレスコ画が野ざらしで、
今なお保存状態良く残されているなんて、なんとも貴重です。


礼拝堂入口2


ノートルダム礼拝堂。
聖都の中心にある主要な聖所です。

小さな入口の扉は、15世紀のもの。
岩石の落下で破壊されたり、プロテスタントに放火されたり、
現在の外観は増改築されて、歴史を物語っています。


パノー450


CHAPELLE MIRACULEUSE 奇跡の礼拝堂
( VIERGE NOIRE Ⅻe Siècle ) 黒い聖母 12世紀

ここに、憧れた、あの黒いマリアさまがいます。



* ~ * Chaptre4 Continuer 続く * ~*













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2015.04.13 | マリア巡礼

【04-1】ロカマドールの黒マリア(1) 出発

ロカマ2014


それは、まったく奇跡の旅でした。

2010年7月6日、黒いマリアに会うために、
フランスへと、夫と二人で旅に出ました。

まるで恋焦がれるようなパッションで、
なかば天からのミッションのように
「どうしても 黒いマリアに会わなければいけない」
わたしの思いは強烈でした。


遠景1
Rocamadour * Photo by RESONANCE


会いたいマリアは二人。

一人は、フランス南東部プロヴァンス地方、サント・ボーム山塊のマグダラのマリア。
もう一人は、フランス南西部ケルシー地方、ロカマドールの黒いマリア。

東から西へ行くか? 西から東へ行くか?
ルート作りから旅は始まります。
もちろん、そんなツアーなどないですから、すべて自分たちで手配しました。

マグダラのマリアの洞窟へは、マリアの聖人の日、7月22日に行きたかったのです。
泊まりたい修道院はすでに満室、空き部屋のある12日に行くことにしました。

ちょうど14日は革命記念日、パリ祭にあたります。
花火が打ち上げられ、町中お祭り気分になるパリに戻るのは避けたい。
革命記念日をどこで過ごすか?

いろいろ悩んだ結果、西の黒マリアから東へと周ることにしました。


Paris ホーム450
Dèpart ! Le 9 Juillet 2010 * La Gare d'Austelriz Paris


パリから南西部へと下り、ロカマドールへ。 
ロカマドールからトゥールーズ駅まで出て、普通列車で横断しプロヴァンス地方へ
サント・ボームからマルセイユ駅、TGV(新幹線)でパリに戻る

フランスはストが多いのが難だけど、鉄道の旅は楽しい。
そんな訳で、しっかりルート作りをして準備万端。

2010年7月9日
泊っていたパリ6区のホテル、Bel Ami からメトロで(地下鉄)オーステルリッツ駅へ。
朝、8時55分発の普通列車TEOZ で、ロカマドールに向けて出発!


DSC00072.jpg


約5時間の鉄道の旅。
途中、ブリブという駅で乗り換えて、
ロカマドール駅には、20分遅れて13時51分に到着しました。


ロカマドール駅2S


フランス南西部、ケルシー地方の簡素な村。
ロカマドールは無人駅でした。

列車を降りた乗客は、わたしたち夫婦含めて4人。


DSC00076.jpg


そぼ降る雨、閑散とした駅周辺。
待てど暮らせど、予約したタクシーは来ない・・・。

タクシーの運転手に直接携帯から電話して、
それから1時間も、人気のない駅でタクシーを待ちました。


ロカマドール駅正面S


運転手は、わたしたちが時間通りに駅に居なかったのが悪いと言って不機嫌。
電車が遅れたのだから、待ってるのが普通だろーという日本の常識は通りませんでした・・。
これもフランスだ・・。


IMG_0876.jpg


今回のマリア巡礼の旅、こんなハプニングは、ほんの序の口でした。

予想もしなかったことが次々と、そして、
予定していなかった場所に
わたしたちは次々と導かれていったのです!!

予定は狂ったのですが、予定にない場所にも行けました。
おまけに、キャンセルできないホテルや列車はギリギリセーフで救われて、
自分たちの想定をはるかに超えたアドベンチャー旅行になりました。

まるで誰かに仕組まれているかのようにパーフェクト。
導かれた場所と場所を繋ぐ軌跡が、完璧なストーリーになりました。

これを奇跡と呼ばずして、なんと云いましょう?

ホテルに着いたのは、もう夕方。
チェックインを済ませてすぐ、わたしたちは
黒マリアが待つ教会へと急ぎました。

吹き鳴らす不思議な音色のトランペットが、遠く、彼方から聞こえてきて、
その音に誘われるがままに、歩を進めてゆきました。


* ~ * Chaptre4 Continuer 続く * ~*



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2014.10.08 | マリア巡礼

【03-1】リヨンの金マリア

jyunrei-Lyon_130930_504px.jpg

フランス、ローヌ・アルプ県のリヨンという町で、
金色のマリア様にお会いしました。

町を見下ろす丘の上から、
両腕をさしのべて 立っておられました。

リヨンは美しい町。
ソーヌ川とローヌ川、ふたつの川が流れていて、
水の恵みに満ちた町です。


フルヴィエール2


世界遺産に登録されている美しいリヨンの旧市街から、
マリア様の教会があるフルヴィエールの丘に向かいます。

きっと歩いても行けるのでしょうけど、
フニクラ(ケーブルカー)に乗って丘まで登りました。


フニクラT


フニクラを降りて最初に目にするのは、
ノートル・ダム・ド・フルヴィエール大聖堂です。

ちょっとギリシャやローマの神殿風です。

Notre-Dame ノートル・ダムとは 聖母のことで、
マリア様を崇拝している聖堂というのがわかります。


教会の正面


正面入口の上部にあるタンパンも マリア様です。
ロマネスクの教会ならば、キリストが描かれるであろう場所。

マリア様の頭上には、8本の光を放つ星を見つけました。
星もまた「ステラ・マリス 海のマリア」といって、マリア様を意味します。

この大聖堂は、マリア様のアトリビュートをふんだんに見ることができます。


ファサード


入口の左右の階段にライオンがいました。
よく見ると、羽根をつけているのでスフィンクスでした。
神社の狛犬みたいです。

この大聖堂は、1870年に建てられました。
ナポレオンの時代でしょうか?

ナポレオン軍団のエジプト遠征は、「エジプトへの回帰」
と呼ばれる様式を生み、スフィンクスをもたらしたそうです。


ライオン


大聖堂の裏手に回ると、聖マリア小礼拝堂があります。
その屋根の上に、金のマリア様がおられました。

そのお姿は、堂々として気品に満ちていました。


金マリア2


そしてその横には、マリア様を守護するように、
大天使ミカエルの像を掲げた教会が並んで建っていました。


ミカエルT


いつか会いたいと思っていた金のマリア様。

聖母信仰がキリスト教の表層に現れて来た時代に
「黒いマリアは、白または金マリアとなって昇天した」
という記述を読んだことがあります。

まさに、この礼拝堂の地下には 黒いマリア様もおられます。

地下の黒と天上の金。

金マリアは、ロマネスクにあった女性を悪の原理として排除するものではなく、
「善の原理に転換させる錬金術を形象化したもの」
と、その本に書かれていました。

なにか 浮かばれなかった存在が、
堂々と表明した証のような感じがいたします。

1852年に、金のマリア像が礼拝堂に取り付けられた時、
その晩、リヨンの人々は窓辺にロウソクを灯して祝ったそうです。

想像するだけでも美しい!
女性原理の復活の日!

それが現在の「光の祭典」に発展したそうです。


タイル


大聖堂に戻り、聖堂の中を見学しました。
見事に金づくめでした。

「金の家」と聖堂でいただいたパンフレットに書かれていました。

マリア様のように、神さまの愛を受け入れた時に
輝く栄光の美しさを金色で象徴しているそうです。

愛する人からの愛を受け入れた時、女性たちは
金色になるのでしょう。


岡


大聖堂の裏は、町を見渡す見晴らし台になっています。
私が訪れた11月の冬空は、リヨンの町をベールで覆っていました。

それもまた 美しく、風景画のようでした。



     ~*~ Fin ~ chapter:3 Lyon ~*~




ロウソク
旅の思い出。フルヴィエールの丘の金のマリア様が描かれたキャンドル。


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2013.12.10 | マリア巡礼

【02-1】ファティマの奇跡のマリア

ファティマ


ファティマは、フランスのルルドと並ぶマリア信仰の聖地です。
多くの群衆の前で奇跡を起こし、平和のために祈るよう唱えた
ファティマの奇跡のマリアさまはとても有名です。


母と姉とわたし、ルルド巡礼に続いて
ポルトガルはリスボンに飛び、奇跡のマリアさまにお会いしました。


ファティマのマリア



リスボン国際空港から北へ、バスで3時間くらい。
美しいリスボンの街を眺めながら、ファティマに向かいます。

リスボン2

リスボン1


ファティマに近づくにつれ、簡素な村に景色が変わってゆきます。

オルトガルの道2

1917年、草地で羊の守をしていた3人の少年少女の前に
稲妻とともに光に包まれたマリアさまが現れたといいます。
当時名もない村だった面影が、今なお残されているような景色です。

ポルトガルの道1


そして到着したファティマの大聖堂。
広大な広場の半分を包み込むようなネオ・クラシック様式の聖堂は大迫力でした。
5月13日、この日はちょうどマリアさまご出現の記念祭典日。
世界中から集まってきた人々で、すでに広場は埋め尽くされていました。

Fatima_091vaL.jpg

本で読むマリアさまの奇跡は、まるでマジックのようです。
毎月13日、同じ場所に続けて6回、マリアさまは子供たちの前に現れました。
そして最終日には、数万人もの群衆が詰めかけたといわれます。

「私はロザリオの聖母です。ここに私の教会を建てて下さい。
 毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。
 人々が、これ以上神様に背くことがありませんように。
 神様はすでにたくさんの背きを受けておられるのですから」
 
多くの群衆の前に現れたマリアさまはメッセージを残し、
そして太陽を指差すように昇っていかれました。

その時、太陽が突然震えだし、燃え盛る車輪のように回転し、
あらゆる方向に色の光線を放ち、
しまいにはジグザクに太陽が落下したり、上昇したりしました。

人々は一斉に叫び声を上げ、恐れおののき、祈りを唱えました。
その現象は、そこに居たすべての人が目撃したと言われます。

(*「聖母マリアからのメッセージ」菊谷泰明著 から引用させていただきました)

Fatima_090vaL.jpg

中央の聖堂は、まさにマリアさまご出現の場所です。
私たちが訪れた日、数十万人はいたと思われる広場。
マリアさまの奇跡現象が、今にも起こりそうな光景でした。

夜はロウソクを灯してミサに参加しました。
これだけの大群衆とともに祈り歌うことは、本当に素晴らしい体験です。
宗教や教義にかかわらず、全身全霊「祈り」のトランス状態に入る・・・
ひとりひとりの個体ではなく、一つの大きなエネルギーの渦
そのものになる感覚です。

Fatima_095vaL.jpg


巡礼の帰り道。
ロカ岬というユーラシア大陸最西端の地に立ち寄りました。

フィニステールL

遠い記憶を思い出させるような海でした。

フィニステール2L


リスボンの港に着くと、母はしきりに懐かしがります。
ここに住んでいたことなどないのに。

ポルトガル海2L
エンリケ航海王子の記念碑・発見のモニュメント

母の父親はヨーロッパ航路の客船航海士でした。
祖父は、フランスかポルトガルでキリスト教の洗礼を受けたと
ここリスボンに来て、初めて母から聞きました。
知らなかった!
母のDNAの中には、父親を通してヨーロッパの記憶があるのでしょう。
ヨーロッパにいる母は、いたって自然でした。
パンを食べるのも、祈る姿も。

ポルトガル海L
大航海時代、船を監視する要塞・ベレムの塔


どのくらいでしょう?
長い間、母を受け入れられない自分がいました。
幼児洗礼で母が信仰する宗教になっていることに疑問を抱いていました。
お祈りを強制されるのも、堅苦しいことも嫌いでした。
この巡礼でさえ、最初は母のお付き合いという気持ちでしたから。

ポルトガルL

でもリスボンで、なんとも自然な母の姿を見ると、
ああ、これは母が父親から譲り受けた血なのだ、と。
抗いがたいものなのだと。
圧倒されるような信仰心も、どうにも変えられない血から来ているのだ。


今にして思うと、
この時、初めて母のありのままの姿を受け入れられたような気がします。

そしてわたしは、ようやく
自分が譲り受けているものに抵抗するのをやめ、
「祈り」を通して見えない何かを、母から
少しずつ受け取り始めたようです。


ファティマのマリアろうそくT



             ~*~ Fin ~ chapter:2 fatima ~*~




ファチマお土産f
旅の思い出*祭典の時のキャンドルホルダーと大航海時代の船が描かれたタイル

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2012.08.21 | コメント(0) | トラックバック(0) | マリア巡礼

【01-1】ルルドの奇跡のマリア - prologue - Lourdes 

プロローグオビ左寄せ


今日、2012年8月15日から「祈りとアートの巡礼記」を書き始めました。

今日はお盆休みでご実家に帰省して過ごす方も多いでしょうね。
ご先祖様や先に旅立った家族、恩師、友人たちへ想いを馳せる一日です。

私の父が他界してから十数年経ち、もし父との別れを経験しなければ、
私はマリア巡礼に出ることはなかっただろう・・・。
そんなことを思い出しました。

そして今日は、破昇天のマリア様の祭日でもありますから、
巡礼記をスタートさせるのにふさわしい日!

いつか書こうと思いつつ、なかなか書けなかった巡礼記。
ようやく産声をあげました。

ルルドの聖母像

不思議な夢から旅は始まりました。
父から淡いコーラルピンクのバラの花束が、私の胸にドサッと届けられました。
その重みに驚いて、飛び起きたくらいリアルな夢でした。

数日後、また夢を見ました。
今度は、王冠をかぶり、ブルーの帯をしたマリア様の夢でした。
後で調べると、ルルドの聖母像であると分かりました。

また数日後、今度は夢ではなく、
なんと、ルルドへの巡礼ツアーがあることを知ったのです!

これは、もう行くしかないでしょう・・・。

そんな偶然が重なって、1996年5月、ルルドへ、
母と姉と私の3人で行くことを決めたのです。

巡礼の始まりは、フランスのルルドから。
そして、新しい人生の始まりも、ここルルドが起点となりました。



帯マリア巡礼

ルルド(Lourdes)はフランス南西部、ミディ・ピレネー地方の小さな町。
スペインとの国境、ピレネー山脈の麓にあります。
聖母マリアのご出現と、難病を治すといわれるルルドの泉で世界的に有名な巡礼地です。

飛行機でタルブ・ルルド空港に降り立ち、そこからバスで市内に入りました。


ルルド・聖域

ルルドはまるで天国。
夢のよう。
平和そのものでした。


L-0_076va.jpg

ピレネー山脈を背後に、ガブ川の清流に沿って
ルルドのサンクチュアリ(聖域)があります。


ルルド入口

ホテル街になっている地域から橋を渡り、ここから聖域に入ります。


ルルド・アントレ

しばらくすると、聖母マリアに捧げられたロザリオのバジリカ大聖堂が見えてきて、
仰ぎ見るように参道が続いていました。
Basilique バジリカとは、教皇により由緒ある教会に与えられる称号。
ローマ・ビザンチン様式で、とても優美な聖堂です。


ルルド・水飲み場2

ルルド・水飲み場1

毎年、世界中から500万人近くの巡礼者たちがルルドにやってきます。
車椅子で運ばれる人、信者や病人で、町は溢れかえっていました。
たいへんな人の多さにも関らず、町中に穏やかさや慈愛が感じられるのは、
やはり、この町が持つホスピタリティでしょう。
みんなの目的は Grotte グロット、マサビエルの洞窟です。


ルルド2_edited-1
出典:Guide du visiteur et du pelerin

1858年2月11日、洞窟前で薪を集めていた14才の少女ベルナデッタ・スビルーの前に
突然聖母が現れ、その後、18回にわたり洞窟に出現したと言われます。
聖母は、洞窟の下を指し「泉へ行って水を飲み、顔を洗いなさい」と言い、
ベルナデッタが手で掘ったところから泉が湧き出ました。
やがて、泉の湧水が病気を治すという奇跡が何件も起こったと伝えられています。


ルルド・洞窟

大聖堂を通り過ぎた裏手に、マサビエルの洞窟があります。

聖母がベルナデッタに告げたといわれる名前、
”Que soy era Immaculada councepciou”
ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・コンセプシウ
ルルド地方の方言で、「私は無原罪の宿りである」。

無原罪の御宿りのマリア像が、ご出現の岩間に鎮座していました。


ルルド洞窟前

洞窟の奥、キャンドルの灯の下に、泉があります。
この日は、洞窟前でミサが行われていて、一人ひとり順番に
奇跡の泉を拝観しました。


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聖母に捧げられた花束に囲まれて、泉がありました。
ガラスの覗き窓を通して、湧水が流れる様子を見ることができます。
本当に美しい祈りの場でした。


ルルド水飲み場

聖域の川沿いに蛇口が沢山あって、泉からの湧水を飲むことができます。
冷たくておいしかった!
聖域に入る前にお土産屋さんでポリ容器とガラス瓶を買い、
お水を汲んで日本に持ち帰りました。


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日が沈みかける頃、プロセッションと呼ばれるロウソク行列があり、
一人ひとり手にキャンドルを掲げ、世界中から集まった大勢の人たちと
Ave Ave Ave Maria!と歌いながら歩きました。
強烈な祈りのエネルギーと、足元の磁場と共鳴するような、
そのエネルギーの川が、空に立ち上っていくような・・。
ルルドの祈りは、永遠に続く川の流れのようでした。


ルルド教会前

ルルドを離れる最終日。
早朝の日が昇る前に、もう一度サンクチュアリを歩きました。
父を連れてきてあげたかった。
そんな声にならない声が、胸の奥で炸裂しました。


ルルド・ホテル前

母にとって、最愛の伴侶を亡くすということがどれだけ辛いことか。
姉は一人になった母を守るように、終始、母に付き添っていました。
私も姉も、本当はもっと泣きたかったのかも知れません。
けれど守るべき者の前では、人は強くなるものですね。


ルルド8

泊ったホテルは PARADIS.
2泊3日の短い滞在でしたが、ルルドは本当に天国のようなところでした。


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朝食を取り、ツアーのバスに乗り込みます。

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マリア像を買い求めたお店を通り過ぎ、

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ルルドで働く看護師さんと病院の前を通り、

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ルルド駅に到着。TGVに乗り、パリ・リヨン駅に向かいます。

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改札は車椅子が通れるように広く開かれ、ホームもフラットでした。
ユニバーサルデザインという概念が生まれる前から、
ずっとこの駅は病人のために開かれていたのですね。


ルルド・地図
出典:Guide du visiteur et du pelerin

地図でルルドの町を見ると、廻り込んだ川の内側に聖域があることがわかります。
氷河によって運搬され、うず高く積み上がった堆石が突然渓流をねじ曲げ、
この地形がつくられたそうです。
そんなダイナミックな地球のエネルギーで出来上がったルルドの地層とは
どんなものなのだろう。
この地層を縫って湧き出る水に治癒力はあるのか。


本

帰国して、父の書庫からこんな本が見つかり驚きました。
著者のアレクシー・カレル博士は、フランスの生理学者で外科医、
巡礼団の付き添い医師としてルルドに同行した際に目撃したことを
奇跡的治癒と科学的検証の間に立って記録した本でした。

医者でも宗教者でも信心深いわけでもない父がルルドに興味があったなんて、
母でさえ知らなかったことです。
ルルドへの旅は、天国の父からの贈物だったのかも知れません。


パリ・ルルド像

ルルド巡礼から日本に戻って一ヶ月後、
私は会社の派遣でパリに住むことになりました。
まるでフランスに呼び戻された気分でした。

パリのアパートの暖炉の上に、母が買ってくれたルルドのマリア像を置きました。

ある夜、また父の夢を見ました。
そして、初めて大声をあげて泣きました。
なんて私は父に愛されていたんだろう!
父がいなくなって、初めてそれに気づいたのです。

信じられないほどの悲しみが押し寄せてきました。
悲しみという感情表現を許したのは愛でした。

そうしてパリで暮らしながら、価値観と人生が少しずつ変わり始めました。
パリに暮らしていた間、ルルドに戻ることはありませんでしたが、
その後、次々とマリアの聖地へと導かれてゆきました。



    ~*~ Fin ~ chapter:1 Lourdes ~*~



Lourdos_scan2.jpg
ルルドの思い出。ロウソク行列の時のキャンドルホルダーと、ルルドの聖水。

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2012.08.15 | コメント(0) | マリア巡礼

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プロフィール

mariaikuko

Author:mariaikuko
青山マリアいく子の
「祈りとアートの巡礼記」にご訪問下さりありがとうございます。
導かれるような旅の不思議について書きたいと思いました。
旅で出会った出来事、美しいもの、心の目が見たものを綴っています。
皆さまの旅も、実り豊かなもので
ありますように。

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