【art-2】ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂-La Chapelle Notre-dame du Haut-
【art-2】ル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂
ロンシャン礼拝堂
La Chapelle Notre-dame du Haut ラ シャペル ノートル-ダム デュ オ は、
近代建築の巨匠、ル・コルビュジエ(仏1887-1940)の最も偉大な作品です。
フランス東部スイスとの国境に近くのロンシャンRonchampという村にあります。
とても小さな村ですが「ロンシャン詣」と異名を持つくらい有名で、
建築家や建築ファンにとっての聖地となっています。
建築ファンの夫に付き合って、わたしも「ロンシャン詣」に行ってきました。
パリ東駅から、スイスBaselバーゼル行きTERに乗り、
Belfort ベルフォール駅で乗り換え、Ronchampロンシャン駅で下車。
ロンシャン駅からは歩いて行きました。
駅から続く小高い丘の坂道を登り、40分くらい歩いたでしょうか?
見晴らしが良い一本道なので、案内版がなくてもすぐ見つけられました。
坂道から右折する細い道があり、その先にロンシャン礼拝堂はありました。
Le4 Mai 1993 * La Chapelle Notre-dame du Haut * Photos by RESONANCE
現れた建造物は、礼拝堂とは思えない独創的な形!
もともとこの場所には、聖母マリアを崇敬する石造りの礼拝堂があり、
第二次世界大戦中に爆撃を受けて破壊されてしまったそうです。
修道会から再建を依頼された巨匠ル・コルビジュエは、
いったい何を思ったのだろう?
この有機的な、奇妙な形、なんとも言えません。
屋根の曲線は生き物みたいだし、壁の穴のような窓。
実際、自著の「ロンシャンの礼拝堂ー辛抱強い探求の覚え書き」には
「蟹の甲羅が屋根の形になった」と、書いてあるそうです。
コルビジュエが占星術に詳しかったかどうかは知りませんが、
蟹座は母性を象徴し、安心できる居場所を表す星座です。
大戦後の新しい礼拝堂には、聖母のイメージを母なるものの包容力や強さ、
フランス国民、信者達の安全な居場所をイメージして
女性的な曲線を描く屋根になったのでしょうか?
聖堂の中に入る前に、ぐるりと外観を見て回りました。
見るアングルによって、全然違う形に見えて面白かったのですが、
その写真がありません。。。
街を見下ろす裏庭には、なぜかポツンとブランコ、三つの鐘がありました。
のどかな田舎という印象でした。
見つけたのは窓辺の聖母像。
大戦で破壊された礼拝堂跡地から、黒く焦げたマリア像が採掘されたそうで、
当時の記憶をとどめるために 現在も窓辺に飾られているそうです。
わたしは長崎の浦上天主堂の「被曝のマリア」を思い出さずにはいられませんでした。
聖堂内は衝撃でした。
そこには光しかありませんでした。
窓が小さいので薄暗く、ほとんど何も見えずガランとした感じ。
壁の穴のように小さな、無数の窓から光が差し込み、
暗闇に光だけが存在する聖なる空間は、中世ロマネスクの聖堂のようでした。
実際にはちゃんと十字架も祭壇もあったのでしょうが、
強烈な印象は ” 光 ”でした。
それは、彫像、バラ窓やステンドグラスで彩られたゴシック期の聖堂とは異なり
大戦後のキリスト教においての信仰のシンボルが
” 光 ” だったのかもしれません。
フランス東部にあるル・コルビジュエのロンシャン礼拝堂を訪ね、
その数年後、南仏にあるマチスのロザリオ礼拝堂にも偶然訪れたのですが、
この礼拝堂の共通点は ”光”だ。というのがわたしの印象です。
マチスのロザリオ礼拝堂
後から知ったのですが、この二つの礼拝堂の建築を依頼した神父が、
なんと、同じ人物だと知って驚きました!
ドミニコ修道会士のクチュリエ神父という方が、礼拝堂のプロデューサーを
務めたそうです!
クチュリエ神父という存在なしに20世紀アートと信仰が一つになった
聖なる空間は生まれなかったのでしょう。
~*~ Fin ~ chapter:2 Ronchamp ~*~
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旅の思い出 ーLa Chapelle Notre-dame du Haut ー
